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User's Voice

僕らの世界は絶望と希望が1セットなのかもしれない

藤間幹夫・果乃子ご夫妻
光明寺

Interview応援者さまの声を
お届けいたします

テラエナジーでんきでは、たくさんのユーザーさまが様々な想いを持って応援してくれています。個性豊かなユーザーさまの声をみなさまにお届けいたします。

ライター:藤井 一葉
兵庫生まれ。浄土真宗本願寺派僧侶。 若手僧侶のグループ・ワカゾーで死をカジュアルに語る場「デスカフェ」を提供。これまでに仏教やお寺にご縁のなかった方への情報発信ウェブサイト他力本願.netの企画運営に携わる。 日本茶を淹れたりと本を眺めているとほっとする。仏様のお話をさせていただくことも。TERA Energyでは、メルマガも担当。

テラエナジー(以下 TE)
まずはじめに、お二人の自己紹介をお願いできますか?

幹夫さん
藤間幹夫(ふじまみきお)です。光明寺(広島)で住職をつとめています。

果乃子さん
藤間果乃子(ふじまかのこ)です。住職の幹夫と、光明寺で坊守(お寺を住職と共に支える存在・役割)の傍ら、小学生への読み聞かせボランティアなどをしています。

「寄付先団体は、寄付のセレクトショップような感じがします」

TE
テラエナジーでんきを知ったきっかけは何だったんでしょう?

幹夫さん
新聞の掲載と同時期に僧侶仲間でもある霍野くん(弊社取締役)から聞き、「おもしろいことをするなー」と思いました。以前から、電力自由化の流れで新電力会社が次々とできていることは知っていました。それと、上関原発の計画について、疑問や不信感を抱いていたこともあり、自然エネルギーの電力に切り替えたいと思っていました。ただ、どうやって信頼できる会社を選べばいいかがわかりませんでした。

TE
テラエナジーを選んでいただいた決め手はどんなところにありましたか?

幹夫さん
取締役の霍野くんへの信頼ですね!それから、基本的に原発の電気を使わず、自然エネルギーを使うということで、切り替えました。

果乃子さん
以前から、自然エネルギーには興味があり、ソーラーパネルも屋根に設置してみたいと話していました。寄付つきでんきの仕組みも、興味深かったです。寄付はもっとしたいと思っていたのですが、これまでは、寄付する先が多すぎてどこに寄付していいかわりませんでした。
その点、寄付つきでんきは、テラエナジーでオススメの寄付先をまとめていて、セレクトショップみたいですごくいいです。

TE
寄付先のセレクトショップ、という感じですか?

果乃子さん
そんな感じです!ネットにも疎いので、信頼のあるところに、オススメの団体を選んでもらえているので安心です。テラエナジーの寄付先団体を見て、そこから個人的に寄付できることがあれば、寄付をしたいと思っています。

「柔軟性をもって生きたいと話される果乃子さんと、「日々、機嫌よく過ごしていきたい」と笑顔で話される幹夫さん

TE
ありがとうございます!自然エネルギーに関心をもたれたのはいつ頃ですか?

果乃子さん
子どもが生まれてからです。その頃から、子どもの将来や地球環境に対して、罪悪感のようなものがずっとあります。私の母も昔から環境問題に関心があったので、その影響もあると思いますが、より自分が環境問題について、何かをしなければ!と思ったのは、子どもの存在が大きいです。

TE
お子さんの存在がその様に影響するのですね。実際にテラエナジーのお客様でも、果乃子さんと同様の思いでおられる方に何度もお会いしました。何かお子さんと関わる活動などはなさっていますか?

果乃子さん
小学生への読み聞かせのボランティアをしています。ボランティアをやっている人たちの活動されている姿が生き生きしていて、すごく素敵で、自分もやりたいと思い、始めました。子どもたちに関われるのは、嬉しいですね。
それに、色んな絵本にも出あうことができる楽しさもあります。最近、ヨシタケシンスケさんの『にげて さがして』という絵本を読みました。「逃げちゃだめだ」と言われることが多いですが、そうではない生き方を考えさせられました。

幹夫さん
お寺ではボーイスカウトやっているので、子どもたちがよくお寺に来てくれます。子どもたちと話していると、いつもこちらが元気をもらい、楽しいですよ。

ボーイスカウトは、ボランティアで大人たちが一緒に力を貸してくれますが、最近はそういったボランティアをする方が減ってきました。余白のある人が少なくなっている様に感じています。実際に時間がないと言うよりは、その時間があるなら、お金を稼ぎたいと思う人が増えている気がするんです。損得勘定のない付き合いって大人になると、生まれにくくなるのかなと、子どもたちと接しながら感じることもあります。

生きること、死ぬことに、今はのんびりと構えている。感覚はその都度かわっていくもの

TE
最後に、死生観、生まれて生きて死んでいくことについて聞かせてください。

幹夫さん
死んだ後のことは、人智の及ばない領域だと感じるのと、同時に、あらゆる者を救う存在、仏様になるという、両方の感覚を持っています。そういう意味で、仏様におまかせして、安心しています。もし、これから病気でもみつかったら、その感覚は変わるかもしれないけど、それはそれでいいと思っています。まあ、そんなものだとのんびり構えてます。

お寺の門

TE
そう思うわれるようになったきっかけはありますか?

幹夫さん
住職をする前は、サラリーマンとして働いていました。当時は、仕事に没頭していたこともあり、あまり不安はなかったです。それが、思春期の頃に人生の意味や生きることととは何かと考えていたことを、この世界に入ってから思い出しました。これまで、考えないように蓋をしていたのでしょうね。

先日、ある研修会に参加した時に、講師の先生が、「世の中に絶望をする人が増えていることが、希望だ」という言葉を教えてくれました。

その言葉を考えていると、僕らの世界は絶望と希望が1セットであって「人生に意味はない」というのと「人生に意味はある」というのがあります。そして、それは究極的にはどちでもいいのかもしれないと思うようになりました。そこを問わない、沙汰せず、どっちでも大丈夫、というのがいいなと思っています。

果乃子さん
私の場合は、若い頃に、思い悩むことはありませんでしたが、出産を通して色々と考えるようになりました。環境に対しては、人間が何をやったって地球環境には、マイナスにしかならない、と思っています。だから、地球環境にとって少しでも良い事であれば、自分にできる範囲で精一杯やるしかないと思っています。

自分の死については、仏様におまかせしている感覚があります。また愛しい人にあえる世界(仏教ではお浄土といいます)があると思っています。

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