fbpx

Introduce

死にたい気持ちもやさしく包みこむ社会

ひろしまSotto
武田慶之さん

Activity活動内容

どんな人でも時には「死にたい」気持ちになるかもしれません。
そんな思いを安心して言える場所、そしてその思いを大切に受けとってくれる人が必要です。

月に一回、広島市内のイベントスペースで、死にたい思いを抱えた人のための居場所として「あったかかふぇの集い」を開催しています。
「死にたい」という思いは身近な人にはなかなか打ち明けにくいことだと想像します。
私たちはどんな思いであっても安心して話せる雰囲気の居場所をつくっていくことを心がけています。

Interview苦しい思いを話したい気持ちと、話せない気持ちも”そっと”つつみ込む居場所

武田慶之さん
ひろしまSotto

浄土真宗本願寺派僧侶。広島の浄土真宗本願寺派の寺院住職。浄土真宗本願寺派総合研究所で研究員として京都自死・自殺相談センターの立ち上げに関わる。現在は、ひろしまSotto代表として活動中。

ひろしまSottoでは、月に一度、広島市内で死にたい思いを抱えた人のための居場所として「あったかかふぇの集い」を開催されています。今回は代表の武田慶之さんに、コロナ禍での居場所づくりの活動、社会に潜む生きづらさについてお話を伺いしました。

ライター:藤井 一葉
兵庫生まれ。浄土真宗本願寺派僧侶。若手僧侶グループ・ワカゾーで死をカジュアルに語る場「デスカフェ」を企画。 日本茶を淹れたり本を眺めているとほっとする。仏様のお話をさせていただくことも。TERA Energyでは、メルマガも担当。

記事のすべてを見る

スタッフみんなで何度も何度も話すことから始まった「死にたい思いを抱えた人のための居場所づくり」

ー死にたい思いを抱えた人のための居場所づくりをされていますが、新型コロナウイルスによって変化はありましたか?

武田さん
実は、活動自体には大きな変化はありませんでした。こういった社会の大きなうねりの中で、軸をずらさずに活動できたのは、2016年のひろしまSottoを立ち上げ当初から、スタッフみんなでたくさんの話し合いをしてきたことが元になっています。

当時から、団体の理念や社会に何が求められているのかを、スタッフでコミュニケーションを重ねてきました。私一人ではなく、スタッフたちで考えて話し合ってきたからこそ、みんなで一貫した想いを持って、いまの居場所づくりができていると思いますね。

なので、新型コロナウイルスの蔓延によって日常が変化してしまった時でも、ぶれることなく、死にたい思いを抱えた方の居場所づくりに取り組めています。スタッフ間で、何度も何度も話してきた過程があったからこそ、僕たちの姿勢は変わらず活動できていると実感しています。

ー武田さんがひろしまSottoを始められたきっかけは何ですか?

武田さん
私は元々、京都自死・自殺相談センター(以下、京都Sotto)の立ち上げにも関わり、広島に引っ越してくるまでは京都で活動をしていました。ひろしまSottoを立ち上げたきっかけは、私が京都から広島に移り住み、その広島の地に京都Sottoのスタッフでもあるメンバーが数名いたり、一緒にやってくれる信頼できる人たちがいたことが大きいですね。一人ひとり名前をここで上げたいくらいです(笑)

あの人たちがいなかったらできなかったと思いますよ。他人に言われて簡単にできることじゃないです。広島で一緒に作り上げる人たちがいたからこそスタートができたと思っています。

ーどんな想いをもって活動されていますか?

武田さん
初めから変わらず、しんどい思いをした人に来てもらい、ほっとしてもらい、少しでも肩の荷を下ろせるような場づくりを目指しています。僕たちが助ける、とは思っていないです。ずっと寄り添い続け、支え続ける姿勢を通しています。

話せない気持ちも大切にする居場所

ー活動をされていて、うれしいなと感じることはありますか?

武田さん
最初はすごくガチガチに緊張して、こわばった表情で会場に来られた方が、帰りには笑顔になって帰られる姿をみることが一番うれしいです。これは、京都Sottoの電話相談ではなかった感覚ですね。実際にリアルで居場所づくりをすると電話相談との違いが見えてきました。

会いに来られる方は、日常生活で何気なく出会っていたら元気そうに見える人だと思います。しかし、実際に対面でお話を聞いていると日常生活でとてもしんどい思いをされています。

普段その方が社会では笑顔でふるまって、元気なふりをしているのだとお話を聞いていると分かってきます。

参加者の方、苦しんでいる方は、苦しんでいる側面を家庭に持ち込めない人もいます。仕事でしんどい思いをされて、家庭でもしんどい思いをされている。家族にも言えない人もいるのです。一見すると普通の人や元気そうな人でも、心の奥底に苦しさや不安な思い、しんどさを抱えています。

ー日常生活の中で、何気なく出会う方も実はそういった思いを抱えている方もいるのですね。ひろしまSottoの居場所づくりには、何度でも行っていいのですか?

武田さん
そうですね。何度来ていただいてもいいですよ。何度も参加されても、やっぱりまだ話せていないことがあるとは思います。つい先日も、何度も参加されている女性の方が、ぼそっと「やっぱりしんどいのよ。死にたくもなるよ」という気持ちを話されました。私はこの方と何度もお会いしてきましたが、ようやく話してくれたのだと思います。

一方で、無理に話してもらう必要もないと思っています。話せなくても、ほっとする、落ち着くからこの場所に来てもらうのでもいいのです。

話せば楽になると言いますけど、話すことは実はしんどいですよ。少なくとも、僕らが聞いてきた人たちの多くは、話すこと自体がしんどかった方もいらっしゃると思います。結果的に、話せて良かった、聞いてもらえて良かったと感じるとは思いますが、無理に話してもらうのはよくないです。

ー話せない気持ちも大事にしている、ということでしょうか?

武田さん
そうですね。だから、Sotto(そっと)という愛称は、そういう意味でもあります。”そっと”寄り添う。こっちから余計な手出しや、余計なお世話をしません。向こうが求めているものに敏感に気づいていったり、しんどい思いがあるのだろうな、と尋ねていくだけです。話したくないことは話さなくていいんです。

「社会の中で主役になりたいと思っても、実際はなれない。けど、ゲーム中では主人公になれる」

ーコロナ禍のお話も出ていて、世間ではステイホームなんて言葉も出てきましたが、武田さんが日常で好きなことはなんですか?

武田さん
ドラゴンクエストⅩ(以下、ドラクエⅩ)です!ドラクエⅠ~Ⅸまでは一回クリアをしたら終わりですが、ドラクエⅩはオンラインで新しいストーリがどんどんと、追加配信されていて今でも物語がずっと続いているので、ステイホームでも小学校1年生の息子と一緒に楽しんでいます。

ードラクエですか?!意表を突かれました!

武田さん
ドラクエは音楽もストーリーも勿論、いいのですが、自分が主役になれることが、僕にとっては一番の魅力です。だって、社会の中で主役になりたいと思っても、実際はなれないじゃないですか。けど、ゲーム中では主人公になれるんです。

それに、ゲームでは努力すれば、必ず結果がついてきます。頑張った分だけ、必ずレベルが上がり、強いボスも倒せます。けど、社会では、努力しても報われないことってありますよね。頑張っても認められたり、結果がついてこないこともあります。だから、生きづらいんだと思うんですが……。

ーなるほど。ゲームのお話ですが、ひろしまSottoの活動ともつながっているような感じがしました。

武田さん
そうですね。色んなことが、僕の人生、僧侶、ひろしまSottoなどの活動につながっています。少し前のことですが、水泳の池江璃花子 (いけえりかこ) さんのこと知り、とても感動しました。18歳の時に白血病を告白され、当時は水泳選手としての復帰が難しい状況にあったと思います。しかし、そこから病気を克服し、さらに選手復帰も果たし、短期間でオリンピックの切符をとりました。

そこで、彼女の姿を見て「なんでこんなことができるんだろう」とすごく驚きましたし、感動しました。そこに着目すると彼女は、病気になっても自分自身でしっかりと目標を定めていたようです。それを知り、目標を持つことの大事さを改めて感じました。

ー武田さん自身の目標は何だったのですか?

武田さん
自分のことを振り返ってみると、目標をもたないまま、だらだら生活していることに気がつきました。もちろん、ひろしまSottoの活動は目標をもってやっていますが、私個人として、僧侶としての目標がなかったのです。目標がないことが日常に馴染んでしまうと、人間はいつの間にか生きる気力や生きがいを失っていくのではないかと不安になりました。

今では、書きかけた本があったのでそれを、書き上げることを目標にしています。

死んだらどうなるのか。多くの人が肌感覚でわかっていること

ー僧侶が起業したテラエナジーらしい質問をさせてください。生まれて生きて死んでいくこと、死生観をどんな風に捉えていますか?

武田さん
仏教用語使わずにですか?(笑)教えの上からは「人はその命を終えたあとは仏様になるんですよ」としか言えないんですよね。言葉で表現できない領域です。だからこそ、そこが仏様の世界です。そして私たちの知見で垣間見える仏様の心やまなざしから学ぶことは大きいですね。

なんといっても仏様には神通力(じんずうりき)があるから、私のことをすべてわかってくれる。苦しい気持ち、言葉にならない気持ちとか、人には言えない気持ちをわかってくれます。

​​ー死んだ後は、どうなるのでしょうか?

武田さん
僕は、石崎ひゅーいという歌手が好きなのですが、彼は尾崎豊さんを尊敬していて、YouTubeで尾崎の歌を歌っている動画をよく見るのです。そのなかで「シェリー」という歌を歌う前に石崎さんは、「尾崎が見てんだよ。下手なことできないでしょ」と言ってから歌い始めるんです。尾崎豊は亡くなっています。しかし、尾崎豊という人は確かにこの日本に存在し、今もどこかに「尾崎豊」という象徴的な存在があるのだと感じました。

時々、「死んだらおしまい」「死んだら何もなくなる」と言う人がいますが、石崎さんは、その「死んだらしまい」の中に隠れる虚しさを知っている人だと思いました。だから「尾崎が見てんだよ」ということを言っているのでしょう。

死んでしまうと、この肉体は滅び、無くなってしまいます。けど、だからといって全部が「滅」「無」になってしまうのは違うのだと、僧侶でなくても多くの方が肌で感じていると思いますね。

ー「尾崎が見てんだよ。下手なことできないでしょ」に熱がこもっていますね。武田さん自身も実感があるような感じがしました。

武田さん
実は、僕は小学校に入学する直前のころ、父親を亡くしてるんですよ。今、うちの子がちょうど小学校に入学したところだから、自分が父親と同じように、この子が小学校入学直前に亡くなってしまうのではないかとか不安になり、考えてしまうことがありました。

僕が小さかったこともあり、父親のことをあまり覚えてないのですが、父を知っているいろいろな方が父親のことを教えてくれます。ある人からは「借金取りからかばってくれた」とか、父親の話を聞くたびに、彼の姿がみえてきます。

そして、自分の人生の節目に「もしも、父親が生きていたら、どうするだろう」とよく考えます。父親はもちろん、この世にはもういないのですが、存在自体がなくなったわけじゃなく、父親の存在を感じるわけです。「何をすれば父親が喜ぶか」とか考えました。そうしたら、いつの間にか僧侶にもなっていたのですよね。

ーありがとうございます。コロナ禍の社会の大きなうねりがある中でも軸をずらさずに活動するひろしまSottoのスタッフみなさんの熱を感じながら、武田さん自身の僧侶への道筋、ドラクエ、池井選手のすべてのことが、一本にしっかりとつながっているような感覚を受けたインタビューでした。生きづらさを抱えた方たちへの居場所づくりを丁寧にされ、自死の活動をしているひろしまSottoを一緒に応援していきたいですね。

団体情報

設立
2016年12月
活動領域
自死・自殺関連
活動中心地域
広島市

電気を切り替えて
この団体を応援する

寄付先団体を選ぶに戻る