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死にたいと思いつめるときの心の支えに

認定NPO法人 京都自死・自殺相談センター

Activity活動内容

死にたく思いつめるような孤独感に苛まれるときには、ただ死ぬことを止めるのではなく、孤独にとらわれずに済んだり、あたたかな関係性を信じられることこそが支えになるのだと考えています。

私たちは、そういった役割を担える、辛いときSotto(そっと)そばにあれるような相談機関を目指しています。ひとりで抱えきれなかったり、知り合いには話すのが憚られるようなことでも安心して悩みを打ち明けられる場所であれるよう日々活動しています。  

Interview「死にたい」気持ちを大切に受けとる

金子宗孝さん、中川結幾さん
認定特定非営利活動法人 京都自死・自殺相談センターSotto

金子 宗孝(かねこ むねたか)
京都自死・自殺相談センター設立のメンバーで理事。2010年から事務局長として勤務しながら相談員としてのボランティア活動に従事。事務局の仕事を後任に引き継いでからは、主にメール相談活動や研修講師、講演などを中心に担当。現在は自殺対策支援センターライフリンクへ入職し、#いのちSOS電話相談のトレーナー・スーパーバイザーとして勤務。

中川 結幾(なかがわゆい)
三重にある真宗高田派 妙華寺衆徒。教育や居場所づくりの仕事に就きたいと思い、大学では教育学を専攻し、京都市内の児童館に勤務。その後、龍谷大学大学院実践真宗学研究科にて臨床宗教師課程修了。仏教の魅力にみせられ得度。同大学院博士後期課程に進学。現在は私立高田中・高等学校にて仏教科講師。Sottoでは2015年から相談員として活動し、広報発信FR委員長を務める。

京都自死・自殺相談センター「Sotto」は、自死の苦悩を抱える方たちの心の居場所をつくりたいと、10人の仲間が中心となり、多くの人々の協力によって、2010年に設立された民間団体です。

死にたい気持ちを抱える方に向けた「電話相談」「メール相談」「居場所づくり」、大切な人を自死で亡くされた方に向けた「グリーフサポート」、世間に向けた「発信事業」を三本の柱として活動しています。今回、理事である金子宗孝さんと、ファンドレイジング委員長である中川結幾さんにお話を伺いました。

ライター:黒木 萌
宮崎県延岡市生まれ、在住。大学卒業後、企業で総務、人事・勤労業務を経験。通信制高校サポート校での勤務を経験。文章を読むことと書くことが好きで、本に関するイベントを多数企画。最近の癒しは絵を描く(特に色を塗る)こと。好きな色は青で、春の海が好き。今年から始めた畑にほぼ毎日通っている。

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自死に関する活動を、志が同じ人と同じ方を向いて頑張ることが楽しい

TERA Energy(以下、TE)
お二人が団体で活動を始めたきっかけを、それぞれ教えてください。

金子さん
2009年、Sottoの設立準備会が立ち上がった当時、デザインの仕事をしながら、それを生業に何かやっていけたらいいなと思っていたところでした。そんな時、たまたまSottoの設立準備会のメンバーに誘われてミーティングに参加して「何かやらしてください」と首を突っ込んだ感じです。

TE
当時は自殺の活動に興味があったわけじゃなかったんですね。

金子さん
そうですね。でも、大学で知り合った友人を手伝う形でしたが、自死遺族の方のための活動に触れていたのが、結果的にSottoへつながるきっかけになったのだと思います。

TE
本気でやるようになったきっかけはありますか。たぶんこれをご覧になる方も、自殺に関する活動をする人はすごく志が高かったり、すごい原体験を持っていたりするんじゃないかと考えていると思うんですが、そういう感じじゃないんですね。

金子さん
「ここで何かを成したい」とか「誰かの支えになりたい」という思いがあったわけではなく、単に
居心地が良かったからだと思います。設立準備会で毎週のように夜中までみんなで話し合っているとすっかり仲間のような気持ちになって、気づいたらスタート時に事務局長になっていました。

TE
中川さんはどうですか。

中川さん
私はSotto5年目の2015年に途中から入ったメンバーです。前職は児童厚生員でした。児童館で子どもの居場所づくり・子育て支援などの仕事を5年していたんですが、そこでボランティアのコーディネーターのような役割も担っていました。

仕事を辞めて、仏教の学校の大学院に入ったんですけど、学生になったら少し時間も空くし、だから何かボランティアしようと思って、大学から一番近いSottoに入りました。

TE
本気で取り組むようになったきっかけはありますか。

中川さん
活動しているうちに学校の部活動のような感じで、楽しくなっていきました。

TE
こういう自死に関する活動を楽しくやっていることを世間の人が聞いたら、変な感じがするかもしれないですね。

金子さん
実際に相談の最中や支援の現場で関わっているのが楽しいことはあまりないですね。そのときは一生懸命やっているので。でも、自分が自分なりに一生懸命関わったことが誰かの支えになっていると実感できたり、「聞いてもらえてよかった、ここ来て良かった」と心から出た言葉がこっちに響いてきたりしたときに、「やっていてよかったな」と思います。

そういう思いを共にする仲間と一緒に頑張ることが楽しいです。志を同じくする人と同じ方を向いて頑張ることが楽しいのかもしれません。

「どんなときのどんな気持ちも受け取る場所」があってこそ生きられる

TE
どんな思いを持って今の活動をされていますか。

中川さん
今はSottoが10年目になって、運営の規模を次のフェーズにしていくにはどうしたらいいのかと試行錯誤している最中です。「心の居場所」を作りたいと、電話相談やメール相談、居場所づくり事業などをしているんですけど、そのためのツールは何でもいいんです。そういう意味で新しいツールをどんどん作っていける可能性がある団体だと思っています。

金子さん
いつも
「お互い様」という点を大事にしています。「特別に病んでいる人が『死にたい』と言う」という社会的な偏見があるなかで、日常の中で少しつまずいたり落ち込んだりする延長上に、思い詰めて死にたくなったり自殺が頭をよぎったりすることがあると思うので、特別に支える人と支えられる人ではなく、人と人が対等に一緒に生きているという点が根本的な思いとしてあります。

TE
自殺のことというと、どうしても「止めたい」という気持ちでやっているのかなとか、「死なせない」という強い思いがあるのかなと勝手に想像するんですが、どうですか。

中川さん
「どんなときのどんな気持ちも受け取る場所」が世間にはなかなかないと思っています。死ぬ・死なない、自殺がいい・悪いという価値観の議論はひとまず置いておいて、どんな気持ちでもいられる場所があってこそ、本当にしんどいときであっても何とか生きていけると考えています。Sottoは相談機関の中でも、世間の価値観とはまた違う最後の砦のような大切な場所だと思っています。

生きていく中で、そういう場所が社会の中にあってほしいと私は思うので、「絶やしてはいけない」という使命感があります。

TE
金子さんはどうですか。

金子さん
「死にたい」というのは「それほどしんどい」、「耐えられない」、「死ぬしか楽になる方法がない」と思い詰めているしんどさの表現・深刻の度合いの一つなのかなと考えると、「死にたい」と言う人が分かってもらいたいことは「それくらい今もう限界なんだ」ということだと思うんです。

ずっと悩み苦しんできて抱えきれなくなっているのを「もう死にたい」という表現で訴えているのかなと思うと、「それくらいの気持ちだということをわかってほしい」と言う気持ちに関わることが求められていると思います。

でも、死ぬ・死なないとなると「いやいや死んじゃ駄目でしょ」と自殺の是非のところで関わる事になるので、本人からすると本来わかってほしいところを誰にも取り合ってもらえない難しさ・悩ましさという二重のわかってもらえなさで苦しくなるのかな、と。

その「わかってほしい・わかってもらえなさ」に関わる意味で孤独を和らげることが、Sottoではできるという自負があります。死ぬ・死なないにとらわれずに「死にたい」という人が結果的に話したいことを話せる、わかってほしいことをわかろうとしてくれる人がいると感じられる場所・時間を提供するところに自分が携わりたいという思いで今も続けています。

相談員養成の研修風景

「自殺を止める」ではない 相談者と関係を紡ぐ 

TE
そういう意味でSottoの活動は、いわゆる世間がイメージするような「自殺の相談場所」やカウンセリングとは、少しニュアンスが違うんですね。

金子さん
関わった結果、その人が「死なないで済むように」「社会に復帰するように」というところをゴールとしていない、変化を強いないところは特徴だと思います。「死にたい」と言ってしまうがために、誰にも分かってもらえないしんどさを分かる人がいると示し続けるために私たちは活動しています。

本人の地獄のように苦しい毎日を受け取って、最後の最後、「やっぱり死にます」というところすらそのまま受け取って無下にしない、こちらのエゴで関わらないという点を大事にしています。

中川さん
「もう生きられない」、「死んでしまった方がいい」と思う人が世間の価値観の外にいるんだったら、世間の価値観でなされる自殺対策、つまり
「生きよう」「変わろう」というアプローチをしない団体・存在でいたいなと。

「自殺を止める活動」ではなく「本当に死にたくて思い詰めるときに居られる場所」や「その気持ちすら大切に受け取られる場所」でありたいです。死んでいくときにみんなは「死なないで」と言うかもしれないけれど、一緒の気持ちで見守って最後「さようなら」と一緒にいられる場所というのは、自殺相談の団体でもSottoならではだと思います。

一般向け聴き方講座「聴き方のお稽古」の様子

TE
活動していて感動したことはありますか。

金子さん
電話相談でのエピソードで、「もう死ぬ」という相談に答えていたときのことです。2時間ほど、どんなことがしんどくてどんなことが耐えられなくて、どうしてもう死ぬしかないと思ってるのか、ととことん話しました。それはもう生きていてもつらいばかりだし、死ぬしかないのも当然だろうなと心から思ったんです。

その人も「こんなに話せると思っていなかったし、わかってくれて嬉しかった。でもやっぱり、今から出て行って死にます」と言って、電話を切られました。「分かりました」と言って終わったんですけど、翌日にその人からまた電話かかってきて「やっぱり死ぬのやめました」と。

切ったときはもう「本当に死ぬんだな」とある意味仕方ないと思っていたので、思わぬところで一緒に過ごした時間がその人の中でどこか響くところがあって、死なずにいられたと報告してくれるぐらいの関係になれてたんだなと、すごく嬉しかったです。「死ななくてよかった」という以上に「そういう関係であれたんだな」というのが嬉しかったです。

中川さん
名前も知らない人同士なのに、相談が終わったら心は裸でハグしている状態の近さがあるのは不思議な感覚です。印象的だったのは、相談者さんが外で歩きながら「こんな人生だった」ととつとつと自分の人生を話されて、それを聞いているうちに、
「止める・止めない」という問題じゃないんだなと思いました。

聞いていたら「本当に今から私は見届けるんだな」という気持ちだったんですけど、1時間、2時間と話していたら「やっぱりもう1日だけ頑張ってみるわ」と言われました。

気持ちを変えるつもりはなかったし、その人の問題自体は何も解決していないのに。「分かってくれる人がいる」と感じられたら気持ちは変わるんだなと思いました。そのときにSottoの理念が腑に落ちた気がしました。そこから、自分自身の生き方もSottoの理念と同じように「相手の気持ちを受け取って大切に関わる」ことに軸を置いた生き方に変わっていきました。

自死することはいい悪いではない 自死だろうと「生ききった人」

TE
近い未来のビジョンに関して、どんなふうに思っていますか。

金子さん
Sottoでこれまで培ってきた、「意識すること」、「相手の立場で発想すること」、「話を聞くとはどういうことなのか」という蓄積を、さまざまなところに還元していってSottoのようにできるところが増えていったらいいなと思っています。

どうしても相談員側のエゴや「こうあるべき」という自分の尺度・価値観からは離れられないものです。だからこそ相手の立場で、自分本位じゃないところで関わろうとすることを突き詰めるところにSottoの特色があります。

その人が自分に心を向けてくれている、自分のために心を砕いてくれていると実感できるときに心細さが和らいだり、親身になって関わってもらったという体験が「世の中なんて、人間なんて」と思い詰めていた心に一筋の希望が射し込むことになるのかなと考えています。

自殺をすること自体は悪ではないと思います。みんな死にますし。

中川さん
いいとか悪いじゃないです。それは生きられないほどのしんどさ、苦しさがあるんだと思っています。目の前で「死にたい」と言っている人がいたら、自分のできる範囲で精一杯のあたたかさを届けたいです。それは痛くて、混沌として、叫びたいような気持ち、つまり、相手の一人では抱えきれないような苦しい気持ちがあるのなら、その気持ちに背を向けたり耳をふさがず、聴くことからはじまると思っています。

TE
誰かが死のうとしていたら、単純に止めたくなるんじゃないかなと思うんですが、どうですか。

金子さん
目の前で知り合いや友人が死のうとしていたらその手はつかむかもしれない。でもそれは、死んだらだめだよと言うためではないです。仮にその人にとって生き地獄のような毎日なのだとしたら、その延長を強いるようなことはとてもできませんが、そこにわかってもらえなさの苦しさが伴うのなら、せめて少しでも受け取って関わることができたらという思いです。

TE
最後にテラエナジーらしい質問として、お二人の死生観について教えてください。

金子さん
相談でもよく「生きる理由って何ですか」と聞かれることがあるんですけど、生きる理由はしんどくなったときに考えてしまうものに過ぎないです。死んでいないから生きているし、生きているから死んでいないんです。死ぬときは死ぬ、と思っています。

だから「生きてるって素晴らしい」とは思わないです。でも、いいことがあると「このために生きてたんだな」と感じることはあるだろうし、しんどいことや苦しいことがあったら「なんでこんな思いして生きなきゃいけないんだろう」と思うことはあるだろうなと。

何か特別に生きる理由・目標があって生きているわけじゃないし、特別な死に向かっていっているという感覚もないです。

TE
中川さんはどうですか。

中川さん
人はみんなそれぞれ自分の価値観や物語の中で生きている、
自分の意味づけた世界で生きていると思っています。同じ世界を生きていても、受け取り方や味わい方は全員違うと感じています。その中でも私は、仏教の教えに魅せられたので、仏様がいる世界観で生きています。

TE
「仏様のいる世界」とはどういう感じですか。

中川さん
私にとって「心の居場所が立ち上がってくる」原風景ですね。どんな自分でもいいし、どんな生き方でも死に方でもいいよと思ってくれる人がいるイメージです。仏様がいなかったら「私の気持ちなんて誰にもわかってもらえない」と思っていたところが、一緒になって悲しんでくれるし、一緒になって笑ってくれるしと、ずっと味方でいてくれる存在、それが仏様です。

TE
「人」なんですね。

中川さん
「仏様」と
「人」は違うのですが、私の中では「存在」ですね。そういう存在があって、自分もやがていのち終えて、誰かのそういう存在になれるという心強さ、みたいなストーリーの中で生きています。「命が終わっても大丈夫」本当の意味で「誰かの苦しさを救える存在になる」と

TE
自死をした人は死んだらどうなると思いますか。

中川さん
自死だろうがなんだろうが「生ききった人」です。いのちを終えると大きな流れの中でみんな仏様になっていくよう感じています輪廻とさとりの世界観の中で、やがては。

TE
ありがとうございました。自死・自殺相談に取り組むSottoの活動をあなたも応援してみませんか?

団体情報

設立
2010年
活動領域
自死関連
活動中心地域
積極的な広報活動は関西地域、特に京都を中心に行っています。電話やメールの相談は、インターネットを通じてSottoのことを知った全国・海外の方からも多く寄せられています。

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