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反核ロックフェス 大マグロック
武藤北斗さん

Activity活動内容

青森県大間町に建設されている大間原発の敷地に囲まれた『あさこはうす』で行われてきたロックフェスティバル。
5回目の2012年からは場所を「あさこはうす」近くの共有地に移動し開催。

世界で唯一の原発敷地内での反核ロックフェスティヴァルです。

Interview「大間原発が核のゴミになってしまう前に止めたい。今ならまだ間に合うんです」

武藤北斗さん
反核ロックフェス 大マグロック

パプアニューギニア海産工場長(現、代表取締役)。反核ロックフェス 大マグロック共同代表。大学卒業後、築地市場にて荷受業務に従事。2年半の職務後、父親が経営する株式会社パプアニューギニア海産に入社。2011年、東日本大震災で宮城県石巻市にあった会社が津波により流され、大阪の市場にに移転。現在は、大阪・摂津市に工場を構える。「働きやすい職場」を実行するため、「好きな日に働ける」「嫌いな作業はやってはいけない」など様々な制度を導入。著書『生きる職場 小さなエビ工場の人を縛らない働き方』

東日本大震災、3.11以降、日本各地で反核の活動を見かけることが多くなりました。デモ活動を見かけたり、原発のニュースを見て、多くの人が驚きや後ろめたさ、応援したい気持ちなど、ごちゃまぜの想いが交錯しているのではないでしょうか。

本州最北端、青森県大間町に建設されている大間原子力発電所(以下、大間原発)の敷地で2008年から行われてきた反核ロックフェスティバル「大マグロック」。世界で唯一の原発敷地内でのロックフェスへの想いや反核活動、3.11について代表のお一人の武藤北斗(むとうほくと)さんにお聞きします。

ライター:藤井 一葉
兵庫生まれ。浄土真宗本願寺派僧侶。若手僧侶グループ・ワカゾーで死をカジュアルに語る場「デスカフェ」を企画。 日本茶を淹れたり本を眺めているとほっとする。仏様のお話をさせていただくことも。テラエナジーでは、メルマガも担当。

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一人の女性との出会いから始まる。反核の活動

ーどのようなきっかけで「大マグロック」は始まったのでしょうか?

武藤さん
大マグロック自体は、代表の山内が、2002年に大間町に住む熊谷あさ子さんに出会ったことが始まりです。大間原発が予定していた敷地内にはあさ子さんの畑があり、現在は「あさこはうす」と呼ばれるログハウスが、大間原発の炉心計画地から300mの位置に建っています。

当時理不尽な買収運動があったことを聞き、いても立ってもいられなくなり、原発反対運動に加わるようになりました。

その後、大間原発の建設許可が下りた2008年に、大間原発建設に反対する現地集会に相談し、若者が関心を持ってくれるようなイベントにしたいという思いで音楽ロックフェス「大マグロック」を始めました。ぼく自身は、第3回の大マグロックに参加したことがきっかけでかかわるようになりました。

ー武藤さんは第3回からのご参加だったのですね!

武藤さん
そうなんです。山内の気持ちと行動にぼくは心動かされ、第3回の大マグロックに参加しました。

その時に、この大間で起きている事は、核燃サイクル問題を象徴するような理不尽で危険なことだと感じ、それを止めたい気持ちが生まれました。また、何も知らされていない日本の人達に知ってもらいたいと思ったことがきっかけです。

ー東日本大震災がきっかけではないのですね。

武藤さん
そうです。当時、ぼくは、宮城県石巻市に住んでいて、2011年の東日本大震災よりも以前から反核の活動をしていました。大マグロックのように、日本全国で東日本大震災以前から、反核の活動自体はあったのですが大きな活動にはなりにくい雰囲気がありました。しかし、2011年3月11日の福島原発事故の以前と以後では全く意味が違ってきます。今は声を大にして「原発ストップ」と言ってもいいはずです。

ー確かに3.11以後、原発に対するイメージは大きく変わってきたように思います。

武藤さん
大きな原発の事故があったにもかかわらず、原発がすぐに稼働していたことに憤りを感じていました。大間原発の建設計画も撤回されていません。また、大間原発は世界中でもまだ建設されたことがないフルモックス燃料(MOX燃料)※を使う原発です。

プルトニウムの毒性の強さ等から、MOX燃料を用いた発電は非常に危険性が高いとも言われています。さらにそれが、フル=全炉心に装荷するフルMOX原発は世界にも例がないのです。大間原発はまだ建設中なので、核のゴミになる前になんとか止めたいのです。

※フルモックス燃料について
・FoeJapan「FoeJapan Q&A なにが問題?大間原発」
・資源エネルギー庁「資源エネルギー庁がお答えします!~核燃料サイクルについてよくある3つの質問」

「生きる」「死ぬ」とか人間の根本的なことを問い直し、会社の変革へ挑む

ー武藤さんのご著書『生きる職場 小さなエビ工場の人を縛らない働き方』にも、2011年3月11日当日のことが書かれていましたが、どんな体験だったのですか?

武藤
あの日、ぼくは宮城県石巻市から車で1時間ほど離れた、仙台の整骨院の診療台にいて、震災に遭いました。その時、石巻にあった私も働いている、株式会社パプアニューギニア海産の社長でもあった父とも連絡がとれませんでした。

福島原発の爆発自体はほぼ、リアルタイムでラジオで知りました。放射能が来ることをその時は恐れ、子どもたちへの被害を心配しました。建物中の隙間をガムテープで塞いで、外に出ないように、と話していました。ラジオから爆破のことも流れていましたが「大丈夫です。心配しないでください」という声が余計に不安を募らせましたね。後になって、風向きで放射能が石巻を通らなかったことを知りました。

その後、友人の力もあり、大阪に移動し、パプアニューギニア海産の会社も大阪で再建することになりました。

ーパプアニューギニア海産や震災については、武藤さんのユーザーインタビューからどうぞ!「休みたい日に休み、連絡も不要!メディアからも注目を浴びる『生きる職場』を実践する」

ー3.11によって、取り巻く環境が劇的に変わっていったのですね。武藤さんには、どの様な変化がありましたか?

武藤さん
ここ数年、働き方改革という切り口で、ぼくの会社「​​パプアニューギニア海産」をメディアが取り上げくれたり、本も出版させてもらいました。「出勤・退勤時間は自由」「嫌いな作業はやってはいけない」など、これまでの会社の経営では非常識とも思われることに会社で取り組んできました。

実は、働き方改革に踏み切ったのは、東日本大震災を通して、私自身が「生きる」「死ぬ」とか人間の根本的なことを問い直してきたことが背景にあります。

元々はバリバリの営業マンで、会社の効率や利益を追求してきました。会社でも従業員がサボらないようにすることばかり考えていて、監視カメラなんかもつけていました。

※パプアニューギニア海産の働き方改革についてのインタビュー「休みたい日に休み、連絡も不要!メディアからも注目を浴びる「生きる職場」を実践する」

ー監視カメラまで!今の柔らかな雰囲気からは想像もつきません。「大マグロック」についても聞かせてください。

「デモ」と「フェス」は表現方法が違うけど目指している方向は一緒

武藤さん
「大マグロック」は、本州最北端に位置する青森県「大間」「マグロ」と、音楽の「ロック」を掛けています。共同代表の山内さんが、音楽や芸術関連のことをしていることもあり、音楽フェスティバルという形になりました。

音楽イベントであり、反核運動なので、ライブステージで使う音楽の機材も反核のものを使用しています。電気も山形のソーラーワールドさんにお願いして、移動型の太陽光発電設備を青森まで持ってきてもらっています。第1回は「あさこはうす」の敷地内での開催でしたが、第5回から「あさこはうす」近くの共有地に移動し、開催しています。

フェスの様子

ー原子炉の敷地付近での開催はすごいですね。

武藤さん
第1回から大マグロックの音楽イベントと大間原発反対の現地集会を同時開催してきました。今も、1日目と2日目の午前までは、大マグロックとして音楽フェスを開催し、午後からは大間原発反対の現地集会に参加しています。

ーデモに参加して変化などはありましたか?

武藤さん
大マグロックを開催する上で、いろんな人の意見を聞こうと思っています。反核の活動をしている人には、積極的な人もいるし、そうでない人もいます。積極的に反核運動をしている人は、普段は近づきにくい印象もありましたが、同時にリスペクトもしています。

毎年一緒にデモに参加してわかったのですが、「デモ」と「フェス」は表現方法が違うけど目指している方向は一緒だなとしみじみと感じました。

それに、デモ自体にも色んな種類のものがあると気がつきました。一概には言えませんが、例えば、大阪で開催(原発がない地域)のデモと、大間で開催(原発がある地域)のデモは違いがあります。

大阪のような原発がない地域だと、原発を容認している人や推進している人に対して「おかいしだろう」と声を上げるデモが多い気がします。

しかし、大間、原発がある地域だと「この自然を守っていこう」「一緒にやろう」と大間に住む人たちに想いを伝えるデモです。そうなると、マイクで話す言葉自体も違ってきます。

地元の人が応援しにくい雰囲気のなか、それでも、沿道から応援の眼差しがある

ー活動をされていて、嬉しいことはありますか?

武藤さん
地元の人に反核運動を強要したくないと思っています。正直に言うと、原発がある町、建設されている町での反核運動は、単純ではないです。実際に、地元の人がこの活動に参加しにくい雰囲気もあります。

それでも、町の人の応援はとても心が温まります。デモで大間の町の中を歩く時、町の人から話しかけてもらえるとうれしいです。直接声はかけないけど、そっと家から見てくださったり、家の中から手をふってもらえたこともあり、参加しにくい中でも応援してくださっている姿に胸が熱くなりました。

それから、原発の隣接地で大マグロックの音楽イベントを開催した時に、地元の子どもたちが来てくれたこともありました。地元の子ども達がきてくれたことで、大人たちもテンションが上がってましたね!子どもがちょっと引いてしまうくらい(笑)

ー大人たちのうれしい様子が目に浮かびます。テラエナジーを知ったきっかけを教えて下さい。

武藤さん
ぼくの経営する会社
「株式会社パプアニューギニア海産」の移転に伴い、電力を切り替えたいと探し始めました。2011年に宮城県から大阪の市場に移転した時は、市場の中だったこともあり自由に電気が選べませんでした。しかし、新しい工場を建てるにあたり、そこでは自分たちが納得して使える電力会社を選びたいと思っていました。

ところが、自分ではどこの電力会社がいいのかわからなかったので「どこか良い電気会社知ってますか?」と友人たちに聞いてみました。そうしたら、ぼくの大好きな友人たちが「テラエナジーでんき」を薦めてくれました。

そこから、ウェブサイトを見て、どんな会社なんだろうと調べましたね。そうすると、電気だけじゃなく、自死のNPOを立ち上げた人が始めた会社だと知り、驚きました。

それに、電気を通じてNPO団体等に支援ができることも知りました。こんな仕組み、今までの電力会社ではなかったことなので、すごいと思いましたね。

原発にまつわるおすすめのDVDは「六ケ所村ラプソディー」とyoutubeで紹介 <武藤北斗・好きな日に働くエビ工場・パプアニューギニア海産>で検索!

大間がエネルギーを象徴する地域になる可能性

ーテラエナジーの起業のきっかけが、創業メンバーの取り組んできた自死の活動の経済基盤をつくることだった、というのは珍しいですよね。

武藤さん
そう!!だから余計に、いいな!と思いました。電力会社に限らず、これまでの枠組みでの会社の設立とは違う気がしました。

そして、まさか自分の取り組みを寄付先として登録させてもらえるとは思っていなかったです。というのも、反核の活動で、寄付を断られる経験が何度かありました。原発の活動は「原発をとめる!」というゴールがあまりにも大きく、なかなか見えにくいことなので、寄付するゴールと、目的の想像がつきにくいのかもしれません。

それでも、大間原発が核のゴミになってしまう前に止めたいと思っています。今ならまだ間に合うのです。ドイツでは「ワンダーランド・カルカー」という「夢の原子炉」とも呼ばれる高速増殖炉の建設が中止されて、その跡地が遊園地になっています。

同じように、大間も原発予定地を別のものに転用することで、全く反対の意味のエネルギーを象徴する地域になる可能性があるのです。そうした事が実現すれば、大間へ単純に観光に行きたいです。大間は本当に自然が豊かで、みなさんにも訪れてほしい土地ですから。

ーありがとうございました!「今ならまだ間に合う」の言葉が強く心に残りました。パプアニューギニア海産の応接スペースの壁に並ぶ、原発、哲学、仏教、環境問題などに関するさまざまな書籍からも、武藤さんの想いが溢れているように感じました。環境や原発に対する熱い想いを「反核ロックフェス 大マグロック」の活動を応援することで、一緒に表現してみませんか?

団体情報

設立
2008年
活動領域
環境/反核
活動中心地域
青森県

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