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User's Voice

エクステ日本トップシェア会社の平野さんが考える
「川が流れていくように自然にあらがわない生き方、働き方」

クリエイトワン株式会社・代表取締役 平野隆喜さん

Interview応援者さまの声を
お届けいたします

テラエナジーでんきでは、たくさんのユーザーさまが様々な想いを持って応援してくれています。個性豊かなユーザーさまの声をみなさまにお届けいたします。

ライター:藤井 一葉
兵庫生まれ。浄土真宗本願寺派僧侶。若手僧侶グループ・ワカゾーで死をカジュアルに語る場「デスカフェ」を企画。 日本茶を淹れたり本を眺めているとほっとする。仏様のお話をさせていただくことも。

死に場所として渡航したロサンゼルスへの片道切符からMITへ

テラエナジー(以下 TE)
テラエナジーを知った時の感想を教えてください。

平野さん
おもしろい人がいるよ!と紹介してもらったことが始まりでした。「テラエナジー」という名前を聞いて「このネーミングをつける人は面白い人だ!」と会う前から不思議と確信していました。そして、代表の竹本さんにお会いして、やっぱりめっちゃいい人やん!ってなりましたよね。

最初会った時は、お坊さんの格好ではなかったので、お坊さんとはわからなかったんです。けど、話し始めたらいわゆる「普通の人」とは何か雰囲気やまとう空気が違うな、と思いました。自殺のNPOをしていることや、そこでの資金やボランティアのお話、電力会社をベンチャーとして立ち上げたこともとてもユニークで面白かったです。単に応援したいだけでなく「もっとこの輪が広がってほしい」「私が入ってどうやったらこの仕組みやテラエナジーを日本中に流布できるのか?」と、テラエナジーの事業展開も私の中で想像しましたね!お話を聞いて、ワクワクしましたよ。

日本中には悩んで、苦しんで、死にたいと思っている人たちが、子どもから老人までたくさんいるので、相談できる窓口や場所が沢山あるといいですよね。もっと辛口に言うと、全国のお寺さんを拠点に構えて自殺のことをもっとやってほしいと思いました。

TE 
全国への展開は私たちも想い描いています。ほっと資産団体でもある、京都自死・自殺相談センター(NPO)の活動も京都が中心なのは事実です。

平野さん
そうですね。自殺のことも電気の切り替えも、全国にお寺があるからビジネス規模は大きいと思います。

実は竹本さんに色々お話を聞いていて、ちょっと残念だったことがあります⋯⋯。会社にではなくて、世間に対してですが。「こんなに良いことやってるのに、この事業のお話を聞いて電気をテラエナジーに切り替えない人がいる!」という世の中に失望しましたね。もっとみんな協力していこうよ、と思いました。

僕自身、ベンチャー企業の経営でかつて大失敗して自殺しようとしたこともあったので、余計にこれは大事な事業だと感じています。だからこそテラエナジーをもっと広めたい!と思っています!

美容院・HANNAH NAGOYA(ハンナ 名古屋)

TE
ありがとうございます。心強いです!平野さんのご経験からも、テラエナジーに共感してくださったのですね。自殺しようと思ったことを少しお話いただいてもいいでしょうか?

平野さん
実は10代の頃は、社会に迷惑かけるようなことばっかりしてました。親にも迷惑かけてました。友達もいましたが、その友達の両親から「もう彼には会うな」とかも言われていました。そうしていると、だんだんと孤独になっていき、リストカットなんかもやりました。

当時はそんな状態でしたが、心の中では、色んなことを「知りたい」という気持ちは強く持っていました。夏休みの宿題はしなかったですけどね(笑)そして、15歳でアメリカのロサンゼルスに行きました。当時のロスは毎日のように殺人や暴行事件があって、大変な地域ではありましたが、すでに覚悟もあったので⋯⋯。

TE
覚悟⋯⋯ですか。ロサンゼルスにはなぜ、行かれたんですか?

平野
死に場所のつもりで行きました。ロス行き飛行機の片道切符だけ買って。入水自殺かどっかでぽんっと銃を手に入れられないかなとか考えながら「これで人生最後なんだ」と思って、飛行機に乗りました。今でもあの時の感覚を思い出すので、ロスには行きたくないですよね。何年か前にロスに行ってみようと、空港に降り立ったけど、その瞬間に「無理だ」と思って引き返しました。今でもその感覚を思い出すくらい、当時は苦しかったんだと思います。

その時の自分には自殺するしかなかったんですよね。相談するところもなかったし⋯⋯。いのちの電話みたいなところに電話しましたが、電話口に出てくれたおばちゃんと話しても「僕のことをわかってくれる」とは思わなかったな。

「なんで殺してくれなかったんだ」

TE
電話をかけるのは勇気がいることだったように感じます。その時の平野さんの気持ちはどんな感じだったのでしょうか?

平野さん
孤独⋯⋯ですかね。自分のことを誰にもわかってもらえない感覚です。それでも、また電話をかけたいと思いました。他に相談できる人も場所もなかったんです。母親も心配してくれてはいましたが、僕がどんな悪いことをして母親に迷惑をかけても、僕を責めることがなかった。その苦しむ母親の気持ちもわかっていたので、相談できなかったですね。

そんな気持ちでロスへ渡りましたが、なんだかんだで、MIT(マサチューセッツ工科大学)で経営の博士号を取りました。その後、ハワイで会社を作り、22歳の時に6億の借金を背負ってしまいました。一応、4年で返済しましたが⋯⋯。その頃にまた「死にたい」と思うようになり、ある日借りていた部屋で首をつりました。何にもない部屋に、スツールを置いて、電気の蓋をとり、縄をかけました。その後、気がついたら3週間くらい記憶がなくて、昏睡状態で病院にいました。僕がいない間、会社の8割の事業は潰れていましたが、それでもまだ機能していて、僕のために泣いてくれる人がいたことを覚えています。

TE
目覚めたのが病院ですか。その時、平野さんはどんなことを思われたのでしょうか?

平野さん
「生きてる」っていう複雑さがありました。あとは、怒りも⋯⋯「なんで殺してくれなかったんだ」ってね。あの時、いのちの電話みたいに相談できるような人がいたら変わっていたのかもしれません。最近知ったのですが、いのちの電話やそういった相談の電話を受けてくれる人も普通の方が、ボランティアとかでやっていたんですよね。それって、すごく重たい仕事ですよね。だからこそ、テラエナジーや京都自死・自殺相談センターのやっていることが重要だと思います。

川が流れていくように自然にあらがわない生き方、働き方

TE
そこから、今の平野さんがあるのは何かあったのでしょうか?

平野さん
正直、それから立ち直るまでには時間がかかりました。その後、日本に帰国してから、急に思い立ち、名古屋から青森まで行ってみようと、車を走らせたことがありました。その時、山梨あたりでお寺さんに出会ったんですよ。

朝4時くらいだったかな。富士山に近づけば近づくほど、導かれるように山に入っていきました。そこに杉がたっていて、苔が生えているお寺を見つけました。まだ薄暗い早朝で、お寺に入っていったら、お坊さんが境内で掃除していました。そしたら、そのお坊さんが、僕がお寺に入った瞬間に「ちょっと待ってね」と言って、お茶を入れてくれて、話をしてくれたんです。その時、人間の生き方や悟りのようなことを話してくれたことが衝撃的すぎて、思い出すだけで今でも泣きそうです。

TE
大切な出会いだったんですね。

社内には名言が次々と映し出される

平野さん
そうですね。それから、誰かが亡くなるたびにお坊さんと話がしたいと思うようになりました。そして、仏教に興味を持つようになり、生きてる意味とかを問うようになった。お金、仕事、人生とは何なんだろうと。昔は仏教はあやしい宗教っぽいから、説教されると思って嫌でしたが、今はそのお坊さんのおかげで認識が変わりましたね。

学生の頃から、僕はいろんなことに興味がすごく強くて、今は美容の仕事をしていますが、自分で物理学とかも勉強したりしています。その時にわかったのですが、仏教と科学が似ているんです。むしろ、仏教が先に真理を言っている。アインシュタインが計算して出したゴールをすでに、仏教は話してくれていたりするんですよね。

TE
今では自殺を考えていた頃の孤独な感じとは違う印象をうけました。今の平野さんからみて、過去の認識は変わったのでしょうか?

平野さん
変わりました。けど、時間はかかりましたね。そういういろんな経験や想いもありながら、テラエナジーのことを聞いて衝撃を受けました。今、僕は41歳ですが、自分の人生のことを考えると、お坊さんになりたいとか思ったりします。あの山梨のお坊さんみたいに人助けができたらなと。ただ、僕は今、美容院の経営以外に、全国の社長さんに向けて経営のコンサルもしています。それが人助けになっているようにも思うんですよね。僕の文脈での人助けだなって。

かつて、あしながおじさんのように30人くらいの子どもを支援をしてきたこともありました。けど、そこで気がついたのは、全員を救えないということでした。その村の子は救えても、じゃあ隣の村は?さらにその隣は?って⋯⋯そこで自分の無力さを感じたこともありました。

そんな壁にぶつかりながらも、今では、自然の流れに沿うように生きています。川が流れるように、自分勝手にダムを作って流れを堰き止めたりするのではなく、川が流れていくように自然にあらがわなくなっていきました。そうすると無理なく「今、自分ができることは何か?」と考えることが増えました。

テラエナジーが日本の国力に?!

TE
会社の電気をテラエナジーに切り替えてくださったこともですが、平野さんが経営する上や社長さんに向けて経営コンサルをされる上で大事にされていることはなんですか?

平野さん
僕がビジネスで成功している理由は、従業員や取引先、顔の見えない人、さらにその先の友達まで、誰がどう感じても、いいなっと思ってもらえるようにすることを考えています。美容院の経営以外にも、経営者に対するアドバイスもしていますが、これも同じです。経営者を育て、経済を豊かにし、その社長が道を外さないように、従業員を幸せにし、会社を大きくすればそこに来るお客さんも幸せになる。道を誤らないように、道を踏み外さないように、それを僕がアドバイスできたらいいなあと思っています。

経営は当たり前ですが、お金が重要です。けど、その重要性や使い方だけではなく、まずは感謝、自分からギブすることを伝えています。それが自然なんですよね。本来は。互いに影響し合っているので、自分だけのために自己勝手に動くことは自然の摂理に反します。

具体的にいうと、経営者は従業員を幸せにする、とかね。そういう僕自身の積み重ねてきたものがテラエナジーのお話を聞いて、一致したんです。だから、たとえ電気代が高くなったとしても、テラエナジーにしますよ。テラエナジー宣伝下手なので(笑)ここで宣伝しておきます!

TE
テラエナジーは京都の会社ですが、なぜ選んでくださったのでしょうか?

平野さん
名古屋は商圏人口約600万人の大都市として、とてつもない人口で、ビジネスチャンスが大きい土地です。そんな中でベンチャーとしてやっているんですが、僕は「地方創生」を大事に考えています。取引先も愛知、岐阜、三重の地方銀行しか使いたくない。僕の知っているおじちゃんとか、その地域に住む人はその銀行が潰れたら、みんな困るんですよ。ローカルエリアに来るお客様もこの経済圏で生きている人ばかりなんです。

そういう銀行に友達や親とか、おじいちゃん/おばあちゃんたちは頼っています。この地方の銀行が潰れたら困るんです。だから、僕はそこに金利を払いたい。だって僕の会社は名古屋を拠点においてる会社だから。

けど、テラエナジーさんは一味違います。京都拠点の会社ですが、日本中に拡大してほしいんです。テラエナジーの仕組みや考え、それが、日本の国力になると僕は思っています。命を繋ぐっていうことだったりとか。僕が入ることにより、より日本全国に拡がりを見せてほしいと思っています。日本の経済、日本の国力になると思っているので、そこにお金を落とすっていうのは何も間違っていないし、むしろ正しいことだと思っています。

TE
テラエナジーが国力に!!

平野さん
それくらいのことをしている、できると思いますよ!うちの従業員に「この美容院の電気代は、社会課題に向き合っている、自殺の団体に寄付されている」と言うと驚いていました。そうすると会社のイメージがあがります。会社の電気がそういうことに使われてると知ると「すごい!」ってなります。広報として、ブランディングなんて言いますけど、まあそれはオマケみたいなものですよ。

テラエナジーの電気に変えるってことは、もっと根っこの「僕が世界を変える一旦を担っている」くらいの気持ちです。だから、テラエナジーに切り替えない理由がない。逆に協力してくれないお坊さんとかいたらショックです!

自分の体の中を通り抜けている、全ての素粒子、原子が「良かった」と思ってほしい

TE
従業員の方も!すごく嬉しいです。最後に僧侶が立ち上げた会社らしく、平野さんの死生観について聞かせてください。生まれること、生きること、死ぬこと、いのちの物語をどんな風に感じておられますか?

平野さん
先ほど言ったように、いのちや人生は「流れ」だと思っています。生まれたことも流れなので「自分が何のために生まれたのか?」とかも正直わからないです。ただ、少しでも自分の周りの環境を良くしていくことは考えています。「良い」っていう定義もその国々によって違いますが。牛を食べるのが悪の国もあれば、豚を食べるのが悪の国もあるし、蛇が神様のところもあれば、蛇は悪魔の化身と言われてるとこもあるんで、一概に「良い」の感覚が違うんですけど。

それでも僕は、全ての生き物に役割があると思っています。蚊、ゴキブリ、牛、空気も含めて、全てに役割があると思っています。自分もそこの流れの中でどう役に立てるのか。役って、自分で決めるものじゃなくて、周りの人の求めるもの。それを俯瞰的にちゃんと見ながら自分の役割を全うする。そして、それを全力で紡いでいく感覚です。それが生きることから始まり、死ぬことだと思っています。

自分の体、細胞が死んで消え去るんじゃないんですよね。原子レベルでいうと残っています。また何かに生まれ変わる。環境と言いましたが、もっと細かに言うと、この自分の今の体を成している、自分の体の中を通り抜けている、全ての素粒子、原子が僕の体を通り抜けて「良かった」って思ってほしい感覚があります。自分のこの皮膚や血、水分となり、糞尿も汗、髪、全てのその原子が僕の体の一部で良かったと。

「死ぬ」っていう表現は僕にはちょっとふさわしくないと思っています。死だとは思っていないです。一つの自分の細胞の役割を、自分の今の体の中の一部で、僕がこの集合体が、どう役割をするか、多分この何兆個あるような細胞たちはまた、バラバラになるわけですよ。

草の一部になるかもしれない、土の一部になるかもしれないし、その子の細胞たちがまたどこかで数百年後数千年もどっか多分また役にたつわけですよ。

その彼らも、もしかしたら思いがあって、どっかにまた旅立っていくと思っています。だから、死ぬことに対しての恐怖は全然ないんですよ。

TE
平野さん自身、疑問をもったり、問いを持つことを大事にされているように感じました。

平野さん
そうですね。自分の強さをいかに鍛えるかっていうのも、大切です。それには、やっぱり自分と向き合うことが必要になります。「問い」ですかね。それがすごく難しいんですけど。振り返ればいのちの電話も、自分の経営の師匠、山梨のお坊さん、おじいちゃんが亡くなったこと、随所随所で自分に必要なタイミングっていうのがどこかでありましたね。きっと同じようなチャンスは、みんなにもめちゃくちゃあると思いますよ。

TE
おじいさまや経営のお師匠さんの話もまた聞かせていただきたいです。ありがとうございました。

【平野隆喜さん】
クリエイトワン株式会社 代表取締役。1981年生まれ。米国マサチューセッツ工科大学(MIT)で経営学博士を取得。17歳から起業。複数会社経営を経てクリエイトワン株式会社を設立。20年、30年と続くビジネスを提案する、人事・財務・マーケティングマネジメントや経営分析などを含めたトータルコーディネート。美容業のコンサルタントやマネージメントをはじめ、「世界で一つだけのもの。」を信念に置き、関わるすべてのお客様の”HAPPY”を考え、物作りからご提案をするベンチャー企業。2015年からヘアーエクステンションのサプライヤーとしては、日本国内トップシェアを獲得。2021年には日本初の特許・商標を取得したシールエクステ「プルシール」のフラッグシップサロン「HANNAH NAGOYA(ハンナ 名古屋)」をオープン。

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