Activity活動内容
「誰もが自分らしく生きられる社会」、「平和で持続可能な社会」を創ることを目指し、小・中学生対象の全日制の学校運営、対話の場づくり、親と子の幸せを支援する自然体験活動や子育て講座、民主的な学校づくりや持続可能なまちづくりを行っています。子どもの主体性を育む教育や対話の文化を実践する学校を中心に、人と人、人と自然が調和して暮らす、信頼によって結ばれる社会を目指しています。
<活動内容>
箕面こどもの森学園小学部・中学部の運営「こどもの森」。興味のあるテーマに沿った対話の場「おとなの森」、親と子の幸せを支援する自然体験活動や子育て講座を行う「こそだての森」、民主的な学校づくりや持続可能なまちづくりを行う「ミライの森」の4つの活動を行っています。
Interview教育は、子どもや教師にこそ主権がある 当事者主権教育を目指して
藤田美保さん
認定NPO法人コクレオの森
『窓ぎわのトットちゃん』を読み、自由な学校に憧れる。小学校教諭を退職後、市民による学校づくりを目指す。2004 年に「わくわく子ども学校」(現:箕面こどもの森学園)常勤スタッフ、2009年から箕面こどもの森学園校長。2022年から認定NPO法人コクレオの森代表理事。現在は、ESDの学校を中心とするSDGsのまちづくりを目指す。
共著「こんな学校あったらいいな」「みんなで創るミライの学校」(築地書館)。
「コクレオの森」は、大阪府箕面市で、民主的で持続可能な社会を目指す認定NPO法人です。子どもの主体性を育む教育や対話の文化を広め、人と人、人と自然が調和する暮らし方の普及や、信頼によって結ばれる社会創りにチャレンジしています。
オルタナティブスクール「箕面こどもの森学園」を運営する「こどもの森」、対話の文化を広げる「おとなの森」、親と子の幸せを支援する「こそだての森」、そして民主的な学校づくりや持続可能なまちづくりを支援する「ミライの森」の4つの事業を運営しています。今回、代表理事である藤田美保さんに事業運営の裏にある想いについて、お話をお伺いしました。
- ライター:黒木 萌
- 宮崎県延岡市生まれ、在住。大学卒業後、企業で総務、人事・勤労業務を経験。通信制高校サポート校での勤務を経験。文章を読むことと書くことが好きで、本に関するイベントを多数企画。最近の癒しは絵を描く(特に色を塗る)こと。好きな色は青で、春の海が好き。今年から始めた畑にほぼ毎日通っている。
自然のあり方から組織運営を学ぶ 2校目開校を目指して
TE
まず自己紹介をお願いします。
藤田さん
コクレオの森の藤田です。私たちのメイン事業は、市民で小学校と中学校を作って運営することです。それを土台にして、子育て支援や大人の対話の場づくり、まちづくりをしています。今、廃校を利用して2校目を創ろうとしています。子どもの主体性が尊重され、対話文化のある、そんな学校があり、豊かなつながりがあるまちをつくりたいと思っています。今は地域の方や団体の方と一緒にどういうまちがいいのかを話しながら、行政とも交渉しています。
2校目は、多様性がある、ごちゃまぜのラーニングセンターのように作れたらと思っています。もちろん小中学校はあるんですけれども、そこに移住の拠点だったり、地域の野菜を置いたり、カフェやレストランを設置したり、障害のある方や高齢者の居場所や、それから乳幼児や子育て中の方が集える場所も。まだそういう例は日本にはないと思うんですけど、構想だけはあって、そこに向けて一歩一歩進めています。
TE
今されている4つの事業が全部ミックスされたような感じですね。どの事業にも「森」とついていますが、それにはどんな思いが込められていますか。
藤田さん
一本一本の木から森が構成されるように、「学校や組織やチームの中の、私もあなたも一本の木ですよ」という意味合いです。一人ひとりが集まって森というものを作ります。森は生きていて、常に変化します。
組織は動き、巡り、変わるものだと思っています。人と人との集まりで誰かが入るとか、学校や組織で言えば卒業するとかを繰り返します。森もそうじゃないですか。どこかの木が倒れて新しい木が生えてきてということを繰り返して存在しています。
常に動きのある生命体のような組織でありたい、一人ひとりが存在感を出していきたいという意味で、「森」とつけています。つまり、自然のあり方から学んだ組織運営をしたいということなんだろうと思います。
TE
そう思われたのは、何かきっかけがあったんですか。
藤田さん
最初はなんとなくのイメージで、そこまで深い意味はありませんでした。森というふうに考えるのが、自分たちに合っているような気がしたというだけだったと思います。
でも、やっていくうちにだんだんとその意味を考えるようになりました。たまたま原生林で組織運営の研修を受ける機会がありました。岡山県の西粟倉村でエーゼロさんが行った研修で、森のあり方から自分たちの組織のあり方や人のあり方を考えました。
その時に、パズルのピースが揃う感じがして、腑に落ちました。もともと最初からそんなふうに思っていたわけじゃないんですけど、後追いで意味付けされていきました。
当事者にこそ主権があり、そのことに価値がある
TE
新しく学校を作るときに、藤田さんの中で大事にしている思いですとか、大切にしていることはありますか。
藤田さん
最初に今の学校を創った時は、「当事者主権」をすごく大事にしていました。教育であれば、教育を受ける生徒自身に主権がある。要は子ども自身に主権があるし、それを教える教師側にも主権があるはずだと思っていました。
ただ、日本の公教育は、子どもにも教師にも主権がありません。誰も決められない。どこかで決められた学習指導要領で、決められた教科書で、とにかく誰かに決められたことをこなすだけの歯車でしかないです。
子どもたちも自分たちで学習内容を決められるわけではないし、教師もそうです。どこにも主権がないから、私は1校目である「箕面こどもの森学園」を作るときに「当事者にこそ主権がある」という考え方をすごく大事に思っていました。専門家や役所が決めるのではなくて、当事者に決定権がある教育を作りたいと思いました。
TE
その後の運営や他の事業もされてきたなかで、何か変わったことはありますか。
藤田さん
もちろん今でも、当事者主権の考え方をベースにした上で、さまざまな当事者が集まった繋がりの中で、自分たちの手の届く範囲の暮らし、まちをつくっていけたらと考えています。当事者同士が集まって、ああでもないこうでもないと言いながらつくっていける暮らしです。
TE
先ほど「多様性」や「ごちゃまぜ」というキーワードが出てきたんですけども、たとえば障害のある子もない子も共に学ぶインクルーシブ教育や特別支援教育などに関してはどういうふうに思われていますか。
藤田さん
なかなか難しいんですけど、どういう状態であれ当事者に主権があると思っています。当事者が自分が受けたい教育なり、サービスなり、医療なりをちゃんと考えて主張できて、周りからもそれが保証されることが大事だと思っています。
ご本人がそれを表明するのが難しい場合は、あくまでご本人の意思を尊重しながらも、保護者に決定権があることになるのかなと思っています。専門家はあくまでもアドバイスや情報提供ができるだけであって、決めることはできないと考えています。当事者性が大事にされるべきだと思っていて、そこにこそ価値があると思います。
当事者が持つ感覚や思いは、たとえ拙く見えたとしても、当事者性は専門性を上回るものだと思っています。だからそこに価値があることを、当事者自身も周りの方も、信じて尊重することが大事なことですし、それが当たり前の社会になればいいなと思っています。
違和感を大事にする 2%の違和感でも無視しない
TE
事業運営をされていて、うれしかったことやおもしろかったことはありますか。
藤田さん
基本的には、やっていることはだいたい全てうれしいし、面白いと思っています。そう思わないことはなるべくやらないようにしています。
TE
うれしかったり面白いと思うこと以外はやらないことは難しいことでもあると思います。事業をやる上でそれが実現可能になるように工夫していることはありますか。
藤田さん
違和感があったらやらないようにはしています。98%賛成だけど、2%違和感があるとか、些細な違和感でも注意するようにしています。違和感があることはやらないし、そういう話が来ても乗らないようにしています。
外部の人とは、少し違和感があるなと思うと、距離を取ります。組織内での事業やアイデアに関しては、違和感がなくなるまで、仲間と一緒に内容を整理します。今取り組んでいる事業自体は、細かい問題点はあっても、大きな違和感はないので、やってみよう、という感じです。
TE
些細な違和感は流してしまいがちですが、すごく大事なことなんだろうと思います。
藤田さん
些細なことでも違和感を見逃すことはしないようにしています。けっこう敏感なので、もし引っかかる点があったら、止めたり、行かなかったり、断ったりするようにしています。
もともとそういう体質で、小さい頃から自分自身の違和感に対するアンテナに引っかかることにはけっこう敏感なんです。なので、その感覚を信頼してもいる感じです。
違和感がある状態に自分を置いておくことに耐えられないので、違和感があれば、距離を取るか、違和感がない状態にしときたいと考えて行動しています。
今日一日が自分に与えられたことそのものがギフト
TE
日々大切にしていることや、生きる上で大事にしていることについて教えてください。
藤田さん
感謝するようにしています。なかなか自分に言い聞かせないと難しいですが。「自分がしている」と思わずに、「させていただいてる」「自分は与えてもらってる」「ギフトをもらってる」と思うようにしています。
TE
それは昔からそうなんですか。
藤田さん
いいえ、最初は「自分がやっている」感がすごくありました。自分が「してあげている」というとおかしいですけど、「これだけ私がやっているのに」みたいな気持ちはありましたね。
TE
何か変わるきっかけがあったのでしょうか。
藤田さん
「私がやっている」と思っている時は、人に対しても、「もっとやってほしい」となるし、「私がこれだけやっているのに何の見返りもない」とか、「もっと認めてほしい」とかあったと思うんですよね。
でも、仲間にもいろいろなタイプの人がいます。理念やビジョンを実現していこうという時に、自分と同じように動く人ばかりではないので、なかなか一足飛びには行かないんですよね。
その繰り返しの中で、大きな出来事、立ち行かなくなる出来事があって、「なんでうまくいかないんだろう」と考えました。「周りが悪い」と思って人に指を指せば、三本が自分の方を向いていると、よく言われますよね。周りのせいにしても、三本の指が自分に向くから、それを引き受けるしかないかなと。
そう考えたときに、自分が何かをしてあげてるんじゃなくて、させてもらっていると思うようになりました。日々この日常にチャレンジできること、それ自体が奇跡なので、そこへの感謝の気持ちを持つようにしています。それはけっして当たり前のことじゃないと思うので。
それから娘が大病したことがありました。ある日突然倒れて、死ぬかもしれないとなったんです。その後も手術とかリハビリとか色々大変で、その時に、いろいろな出会いや気づきがあって、今あるこの日常は当たり前じゃないということを強く実感しました。
誰にでも同じような明日が保証されているわけではない。だから今日一日が自分に与えられたことそのものがギフトだと思うようになりました。そこに感謝の念を持って、自分にできる最大限のパフォーマンスを返すことが、今日の自分にできることですよね。そう思うと、感謝の気持ちが湧いてきます。
いかに生きるかではなく、いかに死ぬか
TE
お坊さんが立ち上げたテラエナジーらしい質問をさせてください。今お話いただいたことも繋がってくるかと思うんですけども、この世に生まれて、生きて死んでいく死生観について、お伺いしたいです。
藤田さん
もともとそういうことを考えるのは好きだったというのもありますが、先程お話した、娘が大病で亡くなるかもしれないことを、ある日突然突きつけられたことがありました。できれば、自分が身代わりになりたかったけど、それは無理ですよね。そこで娘の命に向き合ったことも、死について考えることにつながっていると思います。
実は、4人の祖父母の最期に、釈然としない思いを感じていることもあり、私自身は、いかに生きるかということよりも、いかに死ぬかということの方が、何倍も難しいとずっと思っています。いかに死ぬかはとても大事なことだと思ってるので、「自分はこんなふうに死にたい、死ぬ時はこうしたい」と決めています。それを現時点で、家族に伝えてあるんです。
死は誰にでも訪れるものです。死ぬということ、老いるということを肯定的に、前向きに受け入れたうえで、それを踏まえた死に方、老い方ができることは、すごく幸せなことだと思っています。そうできたらありがたいと思いながら、死ぬ準備、老いる準備は今からやっています。
子どもの教育は未来への投資
TE
最後に読者にひと言お願いします。
藤田さん
子どもたちににどういう教育を受けてもらうかということは、、未来への投資でもあると思ってるんですね。ブータンのことわざでは、「教師は未来を触ることができる」と言われています。子どもたちに、自分自身を大切にするとか、自分が主権者であるとか、自分が社会や自然とどう繋がっているのか、そうしたことを学ぶ機会を持てる教育を受けてもらうことは、そうした未来を作ることになります。私たちの団体を選んでくださるっていうことは、これからの望む未来への投資とお考えいただいて、ぜひ選んでいただきたいなと思っております。
TE
本日は誠にありがとうございました。「コクレオの森」の活動を一緒に応援することで、未来に投資してみませんか?
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