Activity活動内容
奈良県橿原市にお店を構え「本当に美味しい珈琲を」と豆の選別を手作業で行ったり、フェアトレードや生産環境にも配慮した豆を通販する『珈琲の富田屋』。移転をきっかけに店舗の2階のスペースを地元に住む方々に使っていただけるような場所づくりをしていきます。
図書館のようでも、勉強場所にも、食事や団欒の場にも、来る人によって使い方はさまざま。いろんな方が安心できる居場所として開いていきます。
Interviewみんなが交流する場を開くことで、世界を少しでも良くしていきたい
洲脇大輔さん
珈琲の富田屋
1976年大阪生まれ。
2002年より通販専門の自家焙煎のコーヒー豆屋、珈琲の富田屋を開業。
2015年に奈良県の今井町に魅了されて移転・移住。
2022年に1855年建造の蔵を改修し、焙煎工房(1F)兼図書館&フリースペース(2F)をオープン。
2Fのフリースペースはみんなの居場所、交流の場になるよう模索中。
食の学校会員。かしはらきゅうしょくカンガルーメンバー。田んぼの畦の草刈り隊員。
「珈琲の富田屋」は、奈良県橿原市にある珈琲豆屋です。「本当に美味しい珈琲を」と豆の選別を手作業で行ったり、フェアトレードや生産環境にも配慮した豆を通販したりしています。
移転をきっかけに工房の2階のスペースを地元に住む方々に使ってもらえるような場所づくりをしており、図書館のようにも、勉強場所にも、食事や団欒の場にも、来る人によって使い方はさまざまです。今回、珈琲の富田屋(自家焙煎コーヒー豆通販) 焙煎人であり、コミュニティスペースを運営される洲脇 大輔さんにお話をお伺いしました。
- ライター:黒木 萌
- 宮崎県延岡市生まれ、在住。大学卒業後、企業で総務、人事・勤労業務を経験。通信制高校サポート校での勤務を経験。文章を読むことと書くことが好きで、本に関するイベントを多数企画。最近の癒しは絵を描く(特に色を塗る)こと。好きな色は青で、春の海が好き。今年から始めた畑にほぼ毎日通っている。
自分の家のようにくつろげる、みんなが交流する場をめざして
TE
活動内容について教えてください。
洲脇さん
コーヒー焙煎工房の2階部分をフリースペースというか、図書館のような空間として開放しています。ここは入場料を100円払えば誰が来てもよくて、本を読んでもいいし、昼寝してもいいし、勉強してもいいし、トランプとかをしてもいいんです。
(※洲脇が化学物質過敏症のため、除菌消臭剤や香料のある洗濯洗剤、香料のある柔軟剤をご使用の方のご利用はお控えいただいております。そのため、リフォームもなるべく化学物質の出ない材料を使用しており、化学物質過敏症の方でもご利用いただける空間になっていると思います。)
自分の家のようにくつろげる場所になったらいいと思っています。昨日初めて、別々に来た人たちが鉢合わせになりました。それまでは誰かが来たらひとりで貸切状態だったんです。もうずっとそのままでいくのかなと思っていたところに鉢合わせが起こったので、嬉しかったです。少し会話も生まれたみたいでした。ここでだんだんそういう出会いが生まれていったら地域としても強くなるし、知り合いが増えていくといいなと思ってます。
ここに厨房を作ったのは、自分が2、30年後とかに利用したいということもあるんですけど、高齢者が自分一人のために料理するのはなかなかだと思うんですね。でも、中にはすごくお料理好きな方がいらっしゃるはずですよね。そういう人の腕の見せ場があるといいなと思いました。
また、忙しくても毎日料理をするのにもかかわらず、料理がすごく嫌いな人もいると知りました。高齢者が腕をふるって、料理が不得意な人がそこでご飯を食べられる場であったり、「こども食堂」じゃないですけど誰でも来ていいから、そのおばあちゃんが振る舞って割り勘で食べられるような場になったら、助かる人が多いんじゃないかと思っています。
でも、作る人の負担になるようだったら駄目なので、本当に好きなときに好きに作ってという感じがいいなと思います。「交流する場」を目指しています。
大学生のころから「人のため」を考えるきざしがあった
TE
なるほど。洲脇さんに話を聞いていると、地域の人の居場所になるようにと思っておられるように感じるんですけど、そういうことを考えるようになったのはいつ頃からなんですか。
洲脇さん
小さい頃は、環境面ではゴミの分別をしたり、ゴミを減らそうとしたりと頑張っている子どもでした。大学生のとき中華料理屋でアルバイトをしていました。発泡スチロールのトレーがゴミとしてたくさん出ていて、捨ててあったそれをもらって、スーパーの回収ボックスに持っていって捨てていました。
バイト先の人に「これが金になるのか?」と聞かれて、「ならないですけど」と答えたり、少し変わっていたと思います。そういうのはあったんですが、「人のために」と思い始めたのは、もしかしたら商売を始めてからかもしれないです。
何かしていたらいつか返ってくるんじゃないかという気持ちがなんとなくあります。もし商売しなかったら、こんなことにはなってなかったかもしれないですね。商売しているので、自分も少し成長できているというか。何かをそぎ落として、純粋になろうとしているような感じがあります。
TE
珈琲の富田屋をスタートされるきっかけはなんだったんですか。
洲脇さん
山形で大学生をしていたときに、ジャズ喫茶にアルバイトでずっと入っていたんですけど、その雰囲気がすごく好きだったんです。「将来こういうのをしてみたい」とマスターに1回言ってみたら「ちょっと無理だよ」と言われました。
マスターは出稼ぎでお歳暮やお中元の配達に出ることがあって、その間は僕ら1人だけ誰か選ばれて丸一日お店に入るんです。1日の売り上げがわかるんですが「確かにこれじゃなかなか暮らしていかれないな」と。マスターは奥さんが公務員で「僕は奥さんに食わしてもらってるんだよね」なんて種明かしをしてくれて、そうかぁ……と思いました。
そのとき、コーヒーの雑誌を見てたんですけど、そこに「自家焙煎」という言葉があったんです。その人はガレージみたいなところで焙煎して、20年以上前から通販で販売していました。
「いい豆を仕入れて自分で美味しく焙煎したら、嗜好品だから美味しいと思ってくれた人は必ずリピートしてくれる」と書いてあって、「なるほど」と思いました。コーヒーが好きだし、これは本当だと思ったんです。これでサラリーマンや公務員のような安定した収入を得られたら、あとは趣味でジャズ喫茶ができるんじゃないかなと。
TE
なるほど、究極はジャズ喫茶なんですね。
洲脇さん
そのときはそうです、今はもう欠片もないんですけど。それがきっかけで焙煎屋をしようということになりましたね。
TE
いきなり焙煎屋として働き始めたんですか。
洲脇さん
大学を卒業して大阪に帰ってきたときに、毎日ジャズのライブをするレストランがあったんですけど、そこでアルバイトをして、「3年やったらコーヒーをやろう」と思っていました。
TE
いわゆる修行ですね。
洲脇さん
そこではコーヒーは無くて、お酒と簡単な料理だったんですけど、とりあえずライブが聞けると嬉しくて、3年間働いて「卒業します」と伝えました。アルバイトに通っている途中にコーヒー屋さんがあって、香りが漂ってくるんです。そこに何回か行って、そんなに美味しいとは思わなかったんですけど「焙煎したい」と言ったら「ちょうど倉庫に古い焙煎機があるよ」と言われて、それを譲ってもらうことになりました。
結局買い取ったんですけどね。それがどうだったのか、良かったか悪かったのかはちょっとわからないんですけど、とりあえず手に入れました。それで1年ぐらい、掛け持ちしながらコーヒー屋をやって、卒業してコーヒー1本でやるようにしました。
TE
最初からそれなりにお客さんが増えたんですか。
洲脇さん
全然です、大変でした。事業を始めてすぐは妻は神奈川にいたんですけど来てもらって、苦しい時期を味わいました。
TE
コーヒー屋を始めてから結婚されたんですか?
洲脇さん
そうですね。
店の2階を社会に開放することで、利益を社会に還元する
TE
ここを開いたのはいつですか。
洲脇さん
2022年の6月か7月です。読んだ本に「利益の10%を社会に還元しなさい」ということが書いてあって、寄付もいいけれどほかに何かないかなといろいろ考えているときに、2階をどうしよう、と考えたんです。
ただ区切ってレンタルオフィスみたいにするという案や、他にも民泊という案も出てきたんですけど、なんか違うと思って。そのとき、ちょうど2階部分と「10%還元」がくっついて「ここを社会に開放したらちょっと面白いことが起きるかも」と思ったんです。
今はまだそれほど人が来てないんですけど、来た人は一応上に案内して、少ししたら僕は下に引っ込んで、帰るときに声をかけてきたら「どうでした?」と一応聞いてみたりするんですけど、勉強していた人は「すごく集中できてよかった」「ここができる前に近くで勉強できるところがないか探したけど、あんまりないんですよね。最近見つけてきました」と。
親子連れの方も、「なかなか近くに遊べるとこがないの」と。それからけっこう喜んでくれているのが絵画教室の先生です。2回くらいここを使って教えていました。そのときに「なかなか絵が描ける場所がない」と聞きました。場所があれば使ってもらえるし、喜ばれるんだということがわかって、少し役に立ててよかったです。
TE
名前があちこちにありますけど、これはどういうものですか。
洲脇さん
この2階部分だけ、クラウドファンディングをしたんです。1階は事業用なので、そちらはコーヒーの売り上げで何とかするんですけど、2階は収益が上がりにくいです。でもキッチンを作ったりエアコンを入れたりでお金がかかるので、クラウドファンディングをして、コーヒーでお返ししたり、こういう名前を入れたりするリターンを用意しました。その「お名前入れます」に寄付してくれた方の名前です。
TE
相当寄付された方がいらっしゃいますね。
洲脇さん
ここは11万円の枠だったんです。
TE
地元のお知り合いの方ですか。
洲脇さん
知り合いではなかったです。ここを設計してくれた建築士の奥さんが、卸先のカフェを経営してるんですね。そこのお店にこの方が時折食べに寄るらしく、多分そこでうちのことを言ってくれたのか知ったのかで、クラウドファンディングを見つけてくれて、申し込みしてくれたんです。
TE
素晴らしい。奈良の方ですか。
洲脇さん
はい。長いこと奈良にいるからちょっと恩返ししたい気持ちがあって、と。ありがたいです。
TE
すごい。その方は来られましたか。
洲脇さん
まだなんです、まだお会いしてなくて。
TE
来てほしいですね。上がってこられたらびっくりするんじゃないかな、「こんな目立つところに」と。
洲脇さん
去年まで今井町並保存会の会長さんをしてた方がこの名前を書いてくれたんですけど、その人に「ご本人は目立たない裏側とかがいいらしいです」と伝えたところ、「いやいやそんなの真に受けたらだめだよ」と言われました。
「そういう人を本当にそうしたらいつまでも日の目を見ない。そう言ってくれる人こそ光を当ててあげなければいけないんだ」って言われて、「そうか」と思いました。来るたびに目に入るから、「その方が見たらどう思うかな」という思いと、自分も名前を見たらみんなの気持ちを思い出せるので嬉しい気持ちと、大丈夫かなという気持ちが湧きます。
プライベートでも事業でも、使えるものはなるべく使う
TE
洲脇さんは自分の大事にしたいことをちゃんと大事に生きてこられてるのかなと感じたんですが、日々大事にされてることや、ここは譲れない、大事にしているということをぜひ教えていただけますか。
洲脇さん
何かものを買うときにすごく悩みます。使い終わったらゴミになるし、ちゃんとしたものを買いたいと思っています。このペンも相当長い間使っていて、気に入っているんです。もう5年か10年は使っています。
しかも、これ1回なくなって、また同じのを買ったんです。すごく気に入っています。10年ぐらい前に買って使っていた布の財布もあります。寛永通宝がついていて、くるくる紐で巻いて留めるものを、気に入ってずっと使っていたんですけど、最近ボロボロになって穴が開いてきたんです。
もう替えないといけないと思ったんですけど、買うのも悩むからずっとそのまま過ごしてたんです。でも、次第にコインが落ちていったりして、それでもこれがいいと思って同じものを買いました。
ここを作るとき、「今井町並保存整備事務所」がこの町並みを保全するための屋根や全面の漆喰とかに補助金を出してくれました。そこは「残っていて使えるものはなるべく使ってね」というスタンスだから、今のところ使えるものは一応全部使って、危ないものは取り除きました。
生きている間に少しでも世界を良くしたい
TE
最後に、死生観についてお聞かせください。
洲脇さん
生まれるというのはどういうことか、それはあまり考えたことがなかったかもしれないです。今の時代に、2022年に日本にいることの意味はあるんじゃないかと思っています。
ものも豊富だし、いろいろなことができる自由な国に生まれているからこそできることがあると思います。戦争をしている国に生まれていたら、そんなことはできないです。今、ここで生まれた意味をちゃんと見つけて生きましょう、という言葉があって、それを聞いたからかはわからないですけど、僕の中で「生きている間にちょっとでも世界を良くしたいな」というのがあります。
周りの人を幸せにしたりして、そうやって死んでいけたらいいなと。それが世間に評価されることはそんなに気にしてなくて、孫とかひ孫たちが「おじいちゃん目指して頑張ろう」と、そういうふうに言ってくれたら嬉しいなと思っています。
TE
ありがとうございました。2階に洲脇さんの熱い想いが詰まっていることが伝わってきました。あなたも洲脇さんの活動を一緒に応援してみませんか?