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誰もが自分らしい働き方・生き方を実現できる社会を目指して

NPO法人 HELLOlife
塩山諒さん

Activity活動内容

この社会に生きる誰もが直面し、時にその人の人生を大きく左右する「働くこと」にまつわる社会問題。
その問題を事業を通じて解決し、その戦術をシステムとして社会に構築することをめざす組織です。
すべての人が決して生活困窮状態に陥ることなく、健康で文化的な生活を送ることができる社会、希望がもて夢を描ける社会インフラの整備、変革を実現させたいと思っています。

Interviewなってしまってから治すんじゃなくて、そもそも、そうならない社会をつくる。

田川香絵さん
NPO法人 HELLOlife

NPO法人HELLOlife 施策ディレクション室 ブランドマネージャー。心うごく仕事と出会い働き、働き続ける人がたくさん生まれるよう、民間職業安定所や地方版ハローワーク、地域若者サポートステーションなど、厚生労働省・行政・企業・地域との協働で就業に関する様々な事業を推進。「心うごく仕事」を探す求職者と、「心うごく人材」と出会いたい中小企業のマッチングと職場定着を数多く実現している。

『NPO法人HELLOlife』(以下、ハローライフ )は、暮らしの中に潜む「働く」ということにまつわるさまざまな問題を、事業を通じて解決し、その解決戦術をシステムとして社会に構築することをめざす組織です。さまざまな問題を抱える企業や行政・個人に対し、組織戦略や就業支援システムの開発・運用での知見をもとにした課題解決プランを提供しています。今回、施策ディレクション室 ブランドマネージャーである田川 香絵さんに、ハローライフを始めたきっかけや、自身の想いを中心にお話をお伺いしました。

ライター:南 歩実
滋賀県生まれ。京都在住。
大学在学中にフリーペーパーの編集・営業に携わる。卒業後、ディレクターとして、webサイト制作、イベント、交通広告、編集などに携わる。
やる気と元気が取り柄。美味しいご飯と音楽と洋服と柴犬が元気の源。
高校から続けているギターはいつでもそばにいる。

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「辛いと思っている人に何かしたい」という想いがずっとあった。

TE
まずはじめに、ハローライフをはじめたきっかけについて教えてください。

田川さん
ハローライフは、私が22歳の時に、現代表の塩山と、山村の3人で創業しました。
塩山の場合は、小学校時代に教師からの体罰で学校に行けなくなったという壮絶な経験から、そうならない世の中を作りたい、という想いがあってハローライフを始めました。

一方私は、始めるきっかけの原体験があまりありません。しんどい過去はそこまでない人間で、小学校から大学まで行かせてもらって、不自由のない生き方をしてきたと思います。

創業当時、色んな人に自分たちの想いを話す機会が多くあり、塩山は原体験を元に話せるんですが、私はそういったものが全然ないので、「しおちゃん(塩山)みたいな過去や原体験がないのに、どうしてこんなにがんばれるの?」と当時からよく言われていたんです。

TE
そうだったんですね。原体験があまりない中で、ハローライフを始めようと思ったきっかけはどこにありましたか?

田川さん
私が高校生の時に、大阪府池田市の附属池田小学校での殺傷事件が起こり、8人の子どもが亡くなりました。ちょうど私は修学旅行に行っている最中で、飛行機の搭乗のモニターで、ヘリコプターで校舎を写している映像のニュースを見ました。私の地元が大阪ということもあり、あの時の光景がすごく印象に残っています。

当時は子どもが親を殺したり、親が子どもを殺したりとか、そういったニュースが盛んに取り上げられていて、私は、そういうことにすごく心を痛めていた人間だったように思います。「何でこういうことが起きるんだろう」って。

普通に生きてきている人間だからこそ、どうしてこんな事件が起こるのか意味が分かりませんでした。ただただ悲しくて、何で殺されていく子がいるのか、何で家庭でそういう殺人が起きるのか、そういったことにひっかかりを持って生きていました。

田川さん
高校生の時は、なんとなくそういうことを思いながら生きていましたが、そこに向けて何かアクションしたり、進路を決定していくとかはあまり考えていませんでした。ただ、しんどい、辛いと思っている人に何かしたいという想いはありました。

そんな中で、夢や希望を子どもに持ってもらうために教師になれたらと思い、教職課程がある大学に進みました。塾のアルバイトもしていたのですが、塾で出会う小学生の姿で印象に残っているのは、自分が思い描いている子ども像とかけ離れている姿だったことです。私が思い描いていた子ども像は、「将来サッカー選手になりたい!」とやりたいことを言っていたり、キラキラしたイメージがあったのですが、実際は、別にやりたいことも何もないドライな子どもが多かったです。

なので、当時私は、教師という立場で、子どもたちに夢や希望を持ってもらえたらと思っていました。

塩山さんに出会い、仕事を作っていくという概念を知った。

TE
代表の塩山さんとの出会いはどこでしたか?

田川さん
教員採用試験の一次面接に合格して、二次面接のグループ面接を受けるまでの間に塩山に出会いました。

塩山は、自分がやりたいことや、社会のレールから外れた人たちがなぜ幸せになれないのかということを、ずっと発信し続けていました。私はその時初めて、社会的企業やNPOのことだったり、仕事を作っていくという概念を知って、すごく面白そうだなと感じました。

教壇に立って、暗い気持ちになった子をもう一度明るくするということではなく、そもそもそういう子が生まれない社会とか、そもそも池田の小学生の殺傷事件が起こらない社会とか。「そういった社会になってしまってから治すんじゃなくて、そもそも、そうならない社会をつくる。社会の仕組みにアプローチしていくことが必要だ」と塩山は言っていました。

田川さん
塩山の話を聞いた時、すごく面白そうだなと感じました。一方で、親に大学も行かせてもらい、学費も出してもらっていたので、進路変更をするかどうかすごく悩みました。
そんな中、教員採用試験の二次試験に落ちたんです。落ちたときに、ちょっとほっとしたんです。「受からなくてよかった。教師になるってことができなくなってよかった」と思っちゃって。

それから、親に「やりたいことが見つかったから、1年間時間がほしい」と手紙を書きました。親はちゃんとした仕事についてほしいと思っていますし、なんでそんな苦労する方にいくの?という空気ではあったんですけど、「あんたの自由にしい」と言ってくれました。

自分にも出来ることがあるし、それを出来る場所がハローライフ

TE
ハローライフでの最初の活動は何ですか?

田川さん
ごみひろいです。まずはできそうなことから手をつけていきました。

TE
ごみひろいのプロジェクトについて詳しく教えてください。

田川さん
このプロジェクト自体、お金にはなっていません。ゴミ袋も、大阪のデザイン会社がゴミ置き場をアートにするプロジェクトで作っていて、地域のボランティア活動に無償提供しますというゴミ袋でした。花柄が書いてあるゴミ袋で、積み重なるとお花畑ができているみたいに見えるものでした。

「ゴミ拾い」というと、めんどくさいイメージを持つ方が多いと思います。そこで、そういった取り組みを、どういう風に伝えれば若者の心を掴むものになるかを考えてゴミ拾いを企画していました。

ハローライフでは今も同じことをやっていて、自分たちが作っているサービスや就労支援の情報が届きにくい人たちに、どう届けて、どう支援に繋げていくかのデザインをしています。

スターバックスさんと実施したごみひろいの企画
「近場の冒険に出かけよう!」がコンセプトの無人島ごみひろいの様子

TE
ありがとうございます。活動していく中で、大切にしていることはありますか?

田川さん
ハローライフでは「誰もが自分らしい働き方生き方ができる社会を作る」というビジョンを掲げています。そこに向けて、その人にどういう支援があれば、そういう状態になれるか、というのを考えて支援していくっていうことを1番大切にしていますね。

TE
「自分らしく」って、どんなイメージですか?

田川さん
「自分らしさ」って人それぞれ違うものですよね。自分がどう生きていきたいのか、どう暮らしていきたいのか、自分がどうありたいか……ということを、本人と一緒に明確にしていくようなイメージです。

TE
田川さんご自身の「自分らしさ」について教えてください。

田川さん
私の自分らしさは、仕事でもプライベートでも、困っていたり不安を抱えてる人が、そういう状態にならないようにサポートすることをずっとやっている。という部分です。

私は36歳なのですが、今もこの組織の中で1位2位を争うくらい、感情が揺れる方だと思います。やるべきことや物事の本質を考えている時に、すごく心が揺さぶられます、ぐわっと(笑)。

仕事なので、現場で泣いたりとかはしないですけど、自分のやっている仕事や、その仕事が相手に届いた時の感動をしっかり、最大限に味わっています。

TE
気持ちが揺れる感覚というのは、これまでずっと失われることなくあるのでしょうか?

田川さん
枯渇しないですね。

それは、この仕事を始めてから、色んなことの意味が分かってきたからだと思います。なぜ池田の殺傷事件が起こったのか、なぜ犯罪者は犯罪に走ってしまうのか。そういうことが、何となく線で繋がってきたからかなと。

当時、高校生の私は、犯人の心情や行動が理解できませんでした。この仕事を通して色んなことが分かってきた時に、自分にもできることがあるということが分かりました。自分にも出来ることがやれる場所が、ハローライフです。そこに命を燃やして、情熱を傾けれる状態にあります。

大阪本町にある就業支援拠点。合わせて4つの拠点があり、若者からミドル層まで、様々な方の就業をサポートしています。

TE
最後に、テラエナジーならではの質問として、田川さんの死生観について教えてください。

田川さん
生まれる前と死んだ後については、あまり興味がないですね。

ただ、生きている間に「自分の自己概念に夢中になって一生懸命取り組むことができたか?」を振り返った時「やり切ったな」って思って死にたいとは思っています。

TE
今はどうですか?最期、やり切ったなと思えそうですか?

田川さん
いけると思いますね。私、仕事はいつも全力でやっているんですけど、どれだけ働いていても苦じゃないんです。「今日は体がしんどいな……」ということはあるんですけど、モチベーションが沈むことがないので。自分にとっては、生きていることが、働いていることなので、平和というか、幸せな人だなと思います。

TE
ハローライフに出会ってなかったら、塩山さんたちと出会ってなかったら、どうでしたか?

田川さん
そうですね。自分が働くチャンスがもらえるのがハローライフだったから、今私はここにいるんですけど、ハローライフに出会ってなかったら、この状態にはなっていなかったかもしれません。

こういう風に考えられるようになったのは、ハローライフの仕事があったからです。22歳のあの時、もしも別の道行ってたら、そんなに情熱的に働いて生きていなかったかもしれないです。

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