Activity活動内容
未来の森林保全へ向け、植樹プロジェクトを開始しました。
2019年春、京都市京北町の山(3万坪)に、ヤマザクラ、イロハモミジ等、十種を千本づつ、合計1万本を植樹。
急な斜面の為、素人では行えず信頼できるプロへ発注。
食害を避ける為、鹿よけネットで守り、雑草の除草を行い一年が経過。
この先は、継続的にメンテナンスを行い、根の固着と成長をサポートしてまいります。
Interview10年後、20年後、100年後の風景と、そこに集う人の顔が楽しみです。
岩崎仁志さん
株式会社HUMANFORUM
「株式会社HUMANFORUM(ヒューマンフォーラム)」では、アパレル小売り事業、古着輸入小売り事業、Cafe事業を行う他、有機農業、食品加工業なども手がけています。その他にも、2019年から山の1万本の植樹プロジェクトも開始されました。今回は代表取締役の岩崎仁志さんに、農業と植樹プロジェクトを中心にお話をお伺いしました。
- ライター:南 歩実
- 滋賀県生まれ。京都在住。
大学在学中にフリーペーパーの編集・営業に携わる。卒業後、ディレクターとして、webサイト制作、イベント、交通広告、編集などに携わる。
やる気と元気が取り柄。美味しいご飯と音楽と洋服と柴犬が元気の源。
高校から続けているギターはいつでもそばにいる。
30歳を過ぎても、働き続けられる場所を作りたい
ー株式会社ヒューマンフォーラムでは、アパレル事業のほかにも、農業もやられていますよね。農業を始めたきっかけはどういうところにありましたか?
岩崎さん
15年くらい前に京都市の京北町に農地を借りて、家を建てたんです。そこがそもそもの始まりでした。僕はもともとアパレル店員をしていたのですが、洋服屋の社員って、働き始めてから10年くらい経ってしまうと店頭に立ちにくくなってくるんです。高校生や若者向けの洋服を売っているお店に、30歳過ぎた人がいるのは少し辛い。歳を重ねると、だんだん店頭にも立ちづらいし、かといって裏方の仕事が沢山あるわけではない。なので、その後も働き続けられる場所を作ろうと思って「農業」を始めました。これなら、どんな人でも働けるだろうなと。
また、組織が自給自足できることも強みだなと感じています。農業を始めた時、お米を最初に作り始めたんですが、お米は高タンパク高カロリーで栄養もあります。作る時の手間も、他のお野菜と比べるとそんなにはかかりません。栄養と楽ちんさを重視して、お米と芋と大豆を作り始めました。
岩崎さん
現在、農業の拠点は京都の美山にあります。美山では、規模を拡大してお米を作ったり、味噌の加工場もあります。始まりの場所である京北町でも、お米を少し作ってるのと、社員の研修施設として活用しています。
ー社員の研修は、どのようなことを行っているんですか?
岩崎さん
うちの会社はアパレル事業もやっているので、洋服屋の社員が5.6人のチームを組んで、合宿を行っています。東京、京都、香川などの店舗スタッフをシャッフルしてチーム組み、5日間1つ屋根の下で、同じ窯の飯を食べるということをしています。
「いつかこの山が、この町の風物詩になったら」そんな想いで始めた1万本の植樹プロジェクト
ーヒューマンフォーラムさんならではの研修内容で、すごく面白いですね!今、京北町の山で植樹プロジェクトを行っていると思うのですが、それはどういった経緯で始まったんですか?
岩崎さん
ある時、京北町でご縁があり、山が手に入ってしまったんですよ(笑)なので、最初は山に興味があったわけでも、関心があったわけでもありませんでした。
ちょうど自分たちの山が手に入った頃に、自然の生態系が残る山を見に行く機会がありました。見に行った山は、植林も埋まっているんですけど自然の植物と植林が共存している山でした。鹿の被害も無い山で、本当に草木が豊かな山だったんです。
その後に自分たちがもらった京北の山を見て、初めて山の比較ができたんですよね。僕たちの山は、鹿に植物を食べられていたり、木が枯れていたり……。
岩崎さん
その後、山をもらって3年くらい経った時、台風がきて山で土砂崩れが起きたんです。復旧作業も行ったんですけど、僕たちがもらった山は、杉を全て切っていたので禿山状態で。また杉が生えてくるだろうと思って放置していたんですけど、全然杉が生えてこなくて。このまま放っては置けないと思って、山桜や紅葉など10種類計1万本の植樹プロジェクトを開始しました。
岩崎さん
京北町には大きなしだれ桜が2本あるんですが、その桜はその町の風物詩になっているんです。この桜のように、僕たちの山がこの町の風物詩になったらいいなという思いがあります。今、植樹を始めて3年目なのですが、だいぶん芽も生えてきて大きいものだと僕の背丈くらいになっています。10年後、20年後、30年度、100年後のこの山の風景と、そこに集う人の顔がとても楽しみです。
川を下るように、アンコントロールに生きているから見えてくるもの
ー今後の山の成長がとても楽しみですね!お話を聞いていて、とてもワクワクしてきました。このプロジェクトを続けていく中で、大変だったことはありますか?
岩崎さん
どちらかというと、植樹よりも農業が大変です。農業は15年続けていて、完全無農薬になったのはここ5年ほどなのですが、無農薬にした途端、収穫量が1/3に減ったんですよね。収穫量は減ったのに、人手は5倍くらいに必要になってしまって。無農薬で食べ物を作るのってすごく難しいんです。動物が作物を食べてしまったり……。その防止として、土に炭や塩を混ぜたり、試行錯誤を繰り返していたら、無農薬でもだんだん育つようになってきました。
でも、日々大変ですよ、本業の洋服屋のお仕事も、京北町・美山町での農業も、会社の経営も(笑)。
ー農業以外でも、考えることが沢山ありますよね。岩崎さん自身大変だったりしないんですか?
岩崎さん
今まで、川を下るように生きてきたように思います。山を登る時って、ある程度目標の場所を決めて行動しますよね。でも、川を下る時は、流れるままにどこかに行き着きます。僕は今までその場の流れに身を任せて、自分ではコントロールせずに生きてきました。自然に身を任せると、無理のない生き方ができるなって。コントロールせずに生きることで、自分でも予想もしなかったことに出会いたいし、60才の時に夢にも思わなかったところに住んでいた!ってなりたいと思っています。
ー素敵な考え方だと思います。逆に、事業の中で何か印象に残っている出来事はありますか?
岩崎さん
みんな自然や食の大事さを分かっている事ですね。アパレルスタッフに京北町での研修の話をすると、あまり良い顔をしない子も一定数います。研修する前はブーブー言ってる子が多いんですけど、京北町で過ごしていると、みんなふと「こういう食生活っていいですよね」とか「街を離れて農作業する時間っていいですよね」って口にするんです。それがとても印象的でしたね。
ー普段都会に住んでいるからこそ、京北町の自然に触れて感じることがあるのかもしれませんね。最後に、テラエナジーを知った時、どんな印象を持ちましたか?
岩崎さん
もともとテラエナジーの代表である霍野さんとは、お話しする機会があって、テラエナジーのことは聞いていたんです。ソーシャルグッドな活動をされている人に寄付できるって、みんながwinwinの関係で、みんなハッピーな仕組みだと感じましたね。
岩崎さん
まずは京都の中でどんどん広がっていって欲しいと思っています。友達の友達はみんな友達、じゃないですけど、仕組みがとても良いので、友達にも紹介しやすいです。ソーラーシェアリングなど、いつか一緒にやれたら面白そうですね!
ーありがとうございました!京北町の山への想いや、年齢を重ねても働ける場所を作りたい、という岩崎さんのあたたかい想いに触れることができたインタビューでした。自分たちの世代だけではなく、後世のことまで考えて進めている京北町の植樹プロジェクト、これからがとても楽しみです。